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腹証の歴史と意義

腹証の歴史と意義

一般に言われているように、漢方医学の診断法には望診、問診、問診、切診の四種がある。腹診はこのうちの切診に含まれる。
ところが、難経の六十一難に次のような条文がある。

『望んでこれを知る、これを神という。聞いてこれを知る、これを聖という。問うてこれをしる、これを工という。脈を切してこれを知る、これを巧という』

ここでは切診とは脈診のことになっている。腹診が抜けているのだ。では古典書物に腹診の記載がないのだろうか。確かに素問、霊枢、難経、傷寒論、金匱要略には腹診という文字はなし、特に素問と霊枢では望診と脈診が強調されている。

しかし素問の気厥論第三十七に「按腹」という文字がある。その他の篇にも、腹部の症状が記されていて、これを按じて云々という条文がある。

霊枢の邪気臓腑病形第四や百病始生第六十六にも「手を以てこれを按じ・・」などの文字が見える。

難経になるとさらにはっきり記されていて、十六難には腹診部位とその方法が記されている。(図1)

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『肝脈を得ればその外証は潔きを善のみ、面青く、善く怒る、その内証は、臍の左に動気有りこれを按ずれば堅くもしくは痛む』一部だが以上のような条文である。

また、五十五難と五十六難には積聚のことが記されている。(図2)

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八難には腎間の動悸、ということが記されている。(図3、4、5)これらの図は難経などを参考にして、和久田叔虎が作成したものである。

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これらの事から考えても、古代人が腹を診ていたことは間違いないと思う。ところが、現代に至まで、中国では腹診があまりなされていない。日本ではどうであったか。もちろん文献も残っていない。

大塚敬節は『腹診考』という論文の中で、腹診の歴史について詳しく論じている。それによると、日本では鍼灸師を中心として腹診が発達したようである。源流は禅僧である夢分斎あたりだが、その夢分斎に鍼を教えたのが多賀薬師別当法印見宜白行院という人である。したがって夢分斎はその時、腹診も同時に習った可能性が強い。ところが、この白行院も二、三の流儀を取捨して腹診法を創ったという。そのまえは不明である。

いずれにしても室町時代以後、素問、霊枢、難経の諸条文を論拠とした腹診が行なわれこれを大塚は難経系の腹診と言った。さまざまな古書物が残っている。

多くは腎間の動悸や虚里の動(胸の動悸)の重要性を強調し、十六難の腹診を基礎とした。また募穴を腹診部位として用いている。その意味では大同小異なのだが、腹部に配当された臓腑の診断部位には少しずつ違いがある。代表的なものに夢分流の臓腑配当図がある。

現在も一部の鍼灸師によって、夢分流やその他の腹診が行なわれている。しかし湯液古方派のような発展はしていない。
それには次のような理由が考えられる。

鍼灸の場合、胸腹部の経絡経穴が診断及び治療部位になる。そのためことさら腹診として強調する必要がなかったのではないか。

素問などに腹部の症状が記されてはいるが、傷寒、金匱のように治方の指示がない。そのため実証性に欠ける。いくら腹診しても、それが確かめられないのでは不安だ。そのため発展しにくかったと考える。

これは杉山和ーも指摘しているが、腹部の臓腑配当にこだわるあまり、経絡を無視する傾向にあった。経絡の虚実に結びつかない腹診では、いわゆる経絡治療には適さない。勢い脈診を強調することになった。

一方、傷寒論と金匱要略を中心とした腹診を、大塚は傷寒論系の腹診と言った。
これを提唱した先駆者は後藤艮山である。艮山は腹証だけでなく背証も診た。艮山についで傷寒論系の腹診を発明したのが、有名な吉益東洞である。

東洞は次のように言った。
『腹は生あるの本、故に百病はここに根ざす。これを以て、病を診するには必ず腹をうかがい、外証はこれにつぐ。証を先にして脈を先にせず、腹を先にして、証を先にせざるなり』

そうして、万病一毒説を唱えた。腹証はすべて毒の現われだ、というのである。

例えば、東洞は薬徴の中で、
『人参は心下痞堅、癌硬、支結を治する』と言った。

一般に補剤だと言われている人参まで、毒を治する薬にしてしまった。これはなぜなのか。もっとも、彼が主に用いたのは竹節人参ではあるが。

傷寒、金匱に記されている腹部症状には治方が指示されている。つまり実証性がある。だから患者を診て、心下痞があった時に人参を与えて治れば、人参は心下痞という毒を治したことになるのだ。

これは傷寒論系の腹診の発達した理由でもあるが、東洞はこのようにして、傷寒論に記されている腹部症状を確かめていったのであろう。

東洞がこのような方法で治療ができ、その後も腹診が発達してきた理由がもう一つある。それは傷寒論が外邪による病気の治方を記した書物だったからだ。

病気は精気の虚によって起こる。これは素問にも傷寒論にも通じる原則だ。だから経絡治療家は、まずどこが虚しているかを知ろうとする。湯液家でも、内藤希哲などは虚を補うことを強調している。これはもちろん大切な事で、虚を補う事から治療が始まる。

ところが外邪による病気は、虚があるから始まったのではあるが、どこかに熱がこもって実の状態になっていることが多い、胸脇苦満も少腹急結もそうである。この実の部分をいえば毒がある事になる。そうしてこの実は、はっきり腹証に現われ、虚は腹証に現われにくいという特長がある。そのため東洞流の毒を目標とした腹診が発展したのだ。

この実と虚の問題にもう少し触れておこう。例えば東洞は、芍薬の薬効を、『結実して拘撃するを主治する』と言っている。

荒木性次は芍薬が苦味であることを考え、『芍薬はよくたるみを引き締め、痛みを除くの効あり、結実も拘撃もたるみより来るものと見るべし』と言っている。

これを以てこれを考えれば、要するに薬効には二つの見方が出来ることになる。芍薬の場合で言えば。たるみを引き締める、といった場合は、病気を起こした本質の虚を補う薬、という見方になる。

結実を治するもの、と言えば、実の部分すなわち毒を除く薬だ、という見方になる。

結局のところ、薬物は虚と実を同時に治療しているのだ。このどちらが正しいかと考えるのではなく、両面の考え方を知っておく必要がある。ただし、鍼灸治境の場合は虚実を見極めて、補、潟の手技を使い分けなければならない。

実際の治療を考えた場合、虚を重要視すると実を見落とす可能性がある。逆に実ばかり眺めていると、補うことを忘れてひどい眼にあう。ただ言えることは、現代医学の病名がつくような病人は、実がどこかに隠れていることが多い。これを診っけないと治療効果が上りにくいし、失敗することがある。そうしてそれは、腹診によって発見されやすいのである。しかし、腹診をしない場合は虚を中心にして、各薬物はどこかの精気を補うものだ、と考えて研究するのがよい。

なお本書は腹診に脈診を加え、薬物の解説、病因、病理、病症などを述べて、虚と実の両面から解説している。また筆者(小川)の腹証には、四物湯のように虚を中心としたものもある。

さて腹診は東洞以後、その流れを汲む稲葉文礼とその門下である和久田叔虎によって『腹証奇覧」及び『腹証奇覧翼』が世に出され、大いに体裁を整えるに至った。

『腹証奇覧翼』の序文で小川恒得は次のように言つている。

『それ腹は生を保つの本にして、百病はここに根ざす。故に古方を修る者は、証を先にして脈を先にせず、腹を先にして証を先にせざるなり。しかして、腹状を主とするもの有れば、外証を主とするもの有り。医は病の応は脈診に在りと言う。しかれども、留飲家の積衆の脈のごときは、千状万形にして、或るものは無く、或るものは在りて、得て審らかにすべからず。脈の足らざること、以て証するにかくのごとし』

そうして現代に至るまで、腹診は東洋医学を学ぶ者にとって、必要かくべからざる診断法になっている。縁あって日本に生を受けた者であれば、まずマスターすべきは腹診ではないだろうか。

腹証、すなわち腹診によって得られる証は、手で触れることによって得られる素朴な情報の一つである。しかし、診断及び治療の上において、近代検査医学にないものがある。むしろ近代医学に寄与しうる多くの情報を持っている。

例えば、心筋硬塞は腹証から診るならば、ほとんどと言ってよいほど予測できる。すなわち、心下部の腹証を診れば、治すべき抵抗は完全に出来上がっている。それなのに心電図ばかり見ていたのでは、予知も予防も出来ないと言うのが現状だ。これは一種の悲劇である。

眼で見、耳で聞き、手で触れる世界を、もっと忠実に観察しなければならないと思う。
そうしないと、診断、治療のうえで、大きな盲点を無関心なままで放置することになってしまう。ただ腹診の方法など、問題が無いわけでは無しこれについては別の機会に述べる。
(小川新)

臨床 古今腹証新覧

産論・産論翼・読産論 (1977年) 産育全書―復刻版 (1977年)

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瘀血および瘀血関連の腹証について

瘀血研究 第2回瘀血総合科学研究会(1981年)

瘀血および瘀血関連の腹証について

小川新(OGAWA Arata)

目次
1. はじめに
2. 腹証研究の問題点
 2-1)法則性について
 2-2)毒の存在について
 2-3)腹証における時の問題
3. 私の腹証研究法
4. 瘀血および上腹部関連腹証について
 4-1)古典における瘀血腹証の他覚的表現
 4-2)『腹証奇覧』および『奇覧翼』の桃核承気湯腹証
 4-3)桂枝茯苓丸について
 4-4)臍傍抵抗に対する私見
 4-5)腹証の併存性について
 4-6)上腹部ないし心下の腹証について
5. むすび

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肝疾患の臨床_特に肝癌・肝硬変

『漢方の臨床』43巻6号,1996年

肝疾患の臨床_特に肝癌・肝硬変

小川新

■序
 肝癌は漢方的に言うならば肝積にあたるが、それは悪性腫瘍と称するほうが理解し易い。慢性肝炎も肝硬変→肝癌というパターンが最も多いが、肝癌としてはじめから、慢性肝炎を経過することなしにおこす原発性肝癌は少ない。私達の臨床的経験から類推するに最も多いのは、肝炎、肝硬変から移行した続行性肝癌である。
 次に多いのは、転移性肝癌である。胃癌・大腸癌・直腸癌・胃癌・前立腺癌・子宮癌・卵巣癌等であるが、これら続発性癌ないし転移性肝癌についての臨床弁治の実際を報告し、御参考に供したいと思います。

■肝癌の予防について
 これはいかに肝硬変を治療するかにかかわっている。
 その随証療法が完全であればあるほど肝癌になりにくく、不完全な随証療法の下では、肝硬変も治癒しないし、肝癌の予防にも役立たないわけである。
 現在日本で行われている肝硬変の治療には、次のようなものがある。

A、一般的随証療法
 代謝性肝硬変・非代謝性肝硬変でも、その治療方剤は大体下記のごとき方剤の範囲に限られている。即ち補中益気湯・茵蔯五苓散・小柴胡湯・桂茯丸・加味逍遥散・小柴胡湯合茵蔯五苓散・十全大補湯合茵蔯五苓散・補中益気湯合人参湯・六君子湯・人参湯等である。

B、私の随証療法
 ここ(上記の一般的随証療法)に不足する方剤は、
1)柴胡剤としては、柴胡疎肝湯加減、四逆散加減、
2)駆瘀血剤としては四物湯加減、当帰芍薬散加減、大黄牡丹皮湯、血府逐瘀湯、
3)清熱利湿剤として龍胆瀉肝湯加減、半夏瀉心湯加減、小陥胸湯加減、黄連湯加減、
4)利水剤として胃苓湯加減、補気建中湯加減、補中治湿湯加減、紫円、
5)附子の入ったものは、真武湯、茵蔯四逆湯、茯苓四逆湯、
6)駆瘀血薬について、当帰・芍薬・柴胡・丹参・三稜・莪朮・別甲・延胡索・紅花・桃仁・乾地黄で活血軟堅するのである。
私の日常臨床に於ては、肝硬変、肝癌には、三稜、莪朮を多用して効果をあげている。その実際を述べたい。

C、補脾胃について
 肝癌治療において忘れてならないのは、『金匱要略』では「上工は未病を治す」とあるように肝剋土即ち肝病が脾胃の機能的衰退を来せば治らないことになるので充分そこを配慮しなければならない。そのためには六君子湯、人参湯、補中益気湯、などを用いることになる。そこでも三稜、莪朮のような活血化瘀薬を用いる必要がある。

■〈症例報告〉弁証論治の実際

【症例1】OT、男
初診:平成5年11月14日
既往歴:1歳時、膿胸、20歳時、肺炎で死にかけた
現病歴:8年前から糖尿病といわれ、血糖値は200前後で血糖降下剤を服用している。
約5年前検診で肝炎といわれ治療していたが、最近6ヵ月間に体重が3・4㎏減少し、下肢しびれ感、耳鳴り、口渇、肩凝りがある。最近GOT 74,GPT 97,LDH 339、ALP 204、γ-GTP 186、硫酸亜鉛 112.4、チノール 4.5、総コレステロール 143
脈証:右寸関尺は弦であるが、左寸関尺は微細である。
腹証:図1の如く、肝腫大は右肋骨弓下に三横指、脾臓は左肋骨弓下に一横指腫大している。小腹不仁がある。

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治療:四逆散6gに八味丸3gを併用し様子をみていたが、3ヵ月後には肝臓は4.5肥大、脾は2.0横指大に肥大、右脇腹の疼痛がひどくなってきた(図1)。 しかも、肝臓のふれる部分では硬い凸の部分があり、肝癌を考えた。そこで方剤は四逆散加延胡索3.0、茯苓3.0、白朮3.0、莪朮3.0、三稜3.0を6週間投与した。6週間後には肝腫大は1.5、・脾腫大は1.0となったが体重は減って、全身倦怠感を訴えるので、補中益気湯に莪朮・三稜に転向した(図2)。

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この処方を15週続けてみたが再び右脇腹痛を訴え、夕方足が腫れるというので腹証してみるに、肝は4横指、脾は3横指大に腫れていた(図3)。そこで八味丸3に四逆散・茯苓4・白朮4・莪朮3.5・三稜3.5・延胡索3を投与したら4週後には肝は2横指人に、脾は触れず、足のしびれも取れ、腹痛も取れ、常に調子が良いということである(図4)。

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 要するに、
1)初めのエキス剤では効かなかった。
2)四逆散加莪朮三稜の煎剤はよく効いた。
3)補中益気湯加減の補剤を中心とした場合、完全に悪化した。
4)補中益気湯で調子のよくないことは腹証及び自覚症に現れたことである。漫然と補剤を投与してはならないことを痛感した次第である。

【症例2】30歳の肝癌疑(インターフェロン治療後)、男性
初診:平成5年(1993)年12月
現病歴:
昭和62(1987)年4月、インターフェロン600万単位
平成3年(1991)600万単位
平成4年(1992)600万単位
と3年間にわたりインターフェロンをやり、強力視ミノファーゲン注射もしたがGOT 1300になったりして余りきかなかったという。
平成5年2月超音波で1cm大の腫瘤が2個ありといわれ、アルコールブロック注射をすすめられたが、どうも信頼できないというので来院した。
脈証:左関と尺は沈細なるも、右寸関は弦である。右尺はやや沈である。
腹証:図の如く右左肋骨弓下は少し抵抗がある。しかし、下腹鼠径上部特に左側に於て圧痛と抵抗がある。右側にも少のである。11ヵ月の肝機能検査ではGPTが92であった。腹証は図の如く右肋骨弓下には少し抵抗が残っている。左下腹し圧痛がある(図5)。

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弁証:脈で左関尺が沈細であることは、肝腎の虚証を意味しているが、腹証で上腹の抵抗は柴胡の証があること、下腹は定型的四物湯証であるので、四物湯に柴胡3g、さらに駆瘀血薬として桃仁3g、莪朮3g、を投与したら約6ヵ月後にはGOT 32,GPT 59と正常になり、γ-GTP 16、硫酸亜鉛 12.6、チモール 2.7、コレステロール 166というように殆ど正常化した。
 この処方を服用すること約1年後、超音波検査では何もないということになった。腫瘤の映像はなくなったという部、鼠径上部は腸骨前上棘に近く圧痛が残っている(図6)。
 脈証は左関が少し弱いのみで、他は正常に近い脈であった。この腹証によりこの処方を更に2・3ヵ月服用すれば完全治癒ということになるだろう。

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【症例3】男、51歳
初診:平成6年6月14日
現病歴:平成6年末、軽い黄疸あり、右上腹部痛があった。
平成6年1月C・T検査で肝癌と診断された。
平成6年3月肝癌の手術をうけた。
肝左葉全剔、右葉は癌になりかかっているといわれた。
術後3ヵ月目に来院したわけであるが、心下に痞えがあり、ゲップがよく出るし、時々心下に自覚痛があるという。足の裏はいつも燃えているという。少し口渇あり、排便は1日1〜2回で軟便であるという。
既往の服用薬は、アルダクトン(降圧剤)、カスター(H2受容体拮抗剤)、ウルソサン(肝胆消化機能改善剤)、ナウゼリン(消化管運動改善剤)、ラックビ(整腸剤)
脈証:左寸関尺は微細、右尺は微、右関守は弦、足脈少陰左右ともに沈(+)、ふ陽は左右ともに緊、腎機能をみるに手脈ではかなり減退しているが、足脈は健康に近い。
腹証:上腹部圧痛が著明であり、心下痞硬がある。坐位で1.5横指肝腫大をふれる。下腹は両そ臍径部に抵抗と圧痛がある。両脇胸はつめたいが、心下の中央部及び両胸部では熱感帯がある。(図7)

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弁証
1、曖気
2、心下のつかえ(痞)と圧痛
3、心下の抵抗・圧痛
4、坐位で心下において肝臓腫大1.5横指触知
5、脈証において右寸関は弦で熱をもっている。しかし、左寸関尺は沈細で肝腎の虚衰をしめしている。
1・2・3・5によって半夏瀉心湯の証とみた。また、足裏、熱感と下腹の腹証を参考として、六味丸を兼用することにした。更に制癌効果を発揮するために、莪朮3、三稜3を加えた。これを8ヵ月運用して、調子が良いという。
平成6年5月の腹証(11ヵ月後・図8)
心下の圧痛はまだあり、下腹の圧痛は右側臍腰部に少し残っている。便通は一日1回で良い。これを続けてやるつもりである。CTは最近行ったが、癌は大きくならず、停止したままである。病名にかかわらず、随証療法の大切さを知ったわけである。

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【症例4】男、74歳
初診:平成5年3月10日(1993年)
現病歴:昭和60年(1985年)脳血栓で、右半身が麻痺したが、3ヵ月後に回復した。昭和63年(1988年)大腸癌の手術をした。しかし、平成2年(1990年)には肝臓と肺に癌転移したので、肝の左葉全摘と肺の部分切除を受けた。平成3年(1991年)肝の右葉に転移したので、手術を勧められたが断り、制癌剤を服用していたが、漢方治療を求めて来院した。
主訴:右胸脇下部に抵抗と鈍痛あり。肩こり、腰痛、膝関節痛、喘息様症と咳嗽、夜尿2回、白内障もある。
脈証:左寸関尺は沈細、主尺も沈細、左寸関は弦となっている。
腹証:左脇胸部に抵抗あり、半坐位で、触診するに肝は右葉1.5 横指硬く腫大している。圧痛もある(図9)。

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経過:この肝腫大、圧痛により、四逆散加伏苓4、白朮4、更に除痛のために延胡索3を加えた。これを約14週投与した。しかし、1993年8月に血圧172−96というふうに最低血圧も高く、後頭部痛があり、脳血栓という前歴もあるので、八物降下湯に菊花・貝母・莪朮・三稜を加え、八味丸3を兼用したら、約12週後(平成6年7月)には、162−88となった。しかし眼の充血と流涙があり、頭の湿疹が治りきらないので、明朗飲に茵蔯蒿3、莪朮3、丹参3を加え、これに調胃承気湯を兼用して今日にいたっている。C・T 検査では右葉の腫瘤は大きくならないで、癌の進行は停止している。肺には転移はない。

【症例5】58歳、女性
初診:平成6年5月20日(1994年)
現病歴:25年前、胃ポリープで出血したので、胃切除を受け輸血したが、血清肝炎をおこしたという。その後、家事に忙しく元気であったので、検査も受けず肝炎したことも忘れていたのが、平成5年末から風邪が治らず、時々咳があったが、非常に疲れ易いので、平成6年5月、呉市の某病院で検査をうけたところ肝臓が腫大していることが分かった。早速、主人の勧めで漢方治療を受けるべく来院した。
現症:体格は少し痩せているが、筋肉質で丈夫そうな体格である。舌は真っ赤であり、熱をもったようになっている。
脈証:左寸と右尺脈は沈細である。右寸・関、左尺脈は弦である。左右小陰脈は沈(−)、左右趺陽は緊(+)である。
腹証:図の如く肝腫大あり。正中線で10 cm、右肋骨弓下で8cmという風に著明に腫大している。下腹は恥骨上部は縦に2本の抵抗がある。胸には図の如く右乳、左乳に熱感帯がある(図10) 

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X線所見:右肺門部は大きく腫大している。骨盤のうち、左腸仙関節は変形がひどいが腰椎4・3には少し変形がある。
弁証論治:胸のX線所見によれば、肺門部は大きく腫れている。おそらく肺門部リンパ腺の腫張が著しいことを示しており、風邪のこじれがすでに6ヵ月に及んでいることから、このねばい痰が喉にかかり易く、睡眠も充分にとれないので、まずこの慢性気管支炎を治すことに主眼を置き『寿世保元』の竹茹温胆湯加減を投与することにした。柴胡3、竹茄3、茯苓3、麦門冬3、半夏5、香附子2、桔梗2、陳皮2、枳実2、甘草1、人参1、黄連は1.5に増やし、莪朮3、三稜3を加えた。3週間後、咳はとまり、痰が少なくなったが、肺門部腫脹所見は短期間では治らないと見て、この清熱去痰、活血化瘀剤を長期に投与することにした。即ち12週(約3ヵ月)連用した。肝腫大は肋骨弓下7cm、正中線8cmという風に小さくなってきたが、食欲はあるが食後胸の圧痛感があるというので、四逆散に茯苓・白朮・莪朮・三稜を加えて肝臓主体の処方にかえ、食後には苓桂朮甘草エキス9g、または竹茹温胆湯エキス7gを兼用することにした。
 かくして13週後には正中線は最初10cmであったことをみれば、7ヵ月足らずで正中線7cm、肋骨弓下5cm大と小さくなり驚いたわけである(図11)。下腹には小腹不仁があるので、八味丸3gを兼用し、完全に健常になるまで投与を続けるわけである。
考案:この肝硬変がこのように順調に投与方剤に反応して劇的に治癒の方向に向かっていったことは何故であろうか。それは、投与方剤の随証療法が比較的適切であったといっても、それはむしろ、永年、医療を受けないでつまらない肝炎治療による壊病的なものがなかったことが幸いしたのではないかと思っている。 

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【症例6】男、51歳
初診:平成4年3月14日
現病歴:大酒家で1本のウィスキーを2・3日で空にするという。酒を飲まないと眠れないという。1年前肝炎があるといわれた。昨年秋からアレルギー鼻炎でよく鼻水が出ていた。東京の友人も同じように鼻水があり、葛根湯エキスを服んだらよく効いだということを聞いて自分もこの葛根湯エキスを3ヵ月間毎日販んでいるが服んだとき、ちょっと鼻水がよかったので続けて飲むつもりでいた。しかし、彼の妻がこの主人が次第に痩せていき、食欲もなくなり、1日3回下痢様便を出しているのをみて、心配になり、東京のメーカー本社にこの症状を相談したら、当医院に相談しなさいということで訪れた。
現症:やせ型の活気のない、いかにも冷え症のような顔をしている。
脈証:左関・尺は沈細、右寸・尺も沈細となっている。右関と左尺は陽気が残っており、弦脈を呈している。
腹証:心下正中では3横指、右肋骨弓下で1.5横指肝腫大がある。下腹正中は小腹不仁であり冷たい(図12)。
弁証論治:下痢及び下腹冷感によって、真武湯を投与することにした。附子は1gである。これを連用するうちに1年半、肝腫大は正中線でふれなくなった。γ-GTP以外は正常になった。 

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【症例7】女、昭和9年4月生まれ
初診:昭和62年9月9日
現病歴:2年前からGOT 204、GPT 288であり、慢性肝炎といわれている。風邪のために抗生物質を5年間断続的に服用した。1カ月位微熱と咽頭痛がつづいたが、お灸で治ったことがある。今、自覚症状は余りないようだが、仕事をすれば疲れやすいという。
治療及び経過の大要
 初診から2年8ヵ月間即ち1990年5月に超音波で肝硬変といわれたがGOT はいつも100〜300、GPT 200〜600前後で安定せず、治療も効果も充分でないので悩んでいた。今、その迷いの処方内容を順次紹介してみたい。
 小柴胡湯加桔梗茵蔯蒿・加味逍遥散・小柴胡湯合当帰芍薬散・甘草瀉心湯、補中益気湯・増柴胡4.5・加霊芝3.0・山梔子2.0などそのときの証に応じて方剤を処したわけであるが、患者の自由意思で或る大病院で超音波エコーをとったら、肝硬変ありといわれたという。この時改めて腹証したところ、図の如く肝臓は正中線で2横指、脾臓も1横指腫大している(図13)。以来、ただの肝炎という考えを改めて肝硬変のつもりで治療することにした。
 しかし、その処方にも色々と迷いがあった。
1)四逆散加茯苓3、白朮3、霊芝3、別甲3、
2)四君子湯加別甲2、柴胡3、
3)当帰芍薬散加山梔子、黄連1、黄芩1、莪朮3
などを服用したが、腹証でも全くよくならず、肝臓には凹凸があり、下手すれば癌に移行するのではないかと心配して、改めて脈証をみるに左関と尺脈が微細である。これは初診以来変化していないことは腹証に於ても治らないことに気付き、改めて肝虚を捕しながら、清熱し駆瘀血することを確認したわけである。 

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 そこで、1993年7月、六味丸を兼用し、当帰芍薬散加莪朮3.5、柴胡3、黄ゴン1.5、決明子3、山梔子1.5という処方を約10ヵ月間服用している。脾もふれないで肝もわずかにふれるのみとなっていたが、その頃3年ぶりで超音波検査を受けたところ、エコーでは肝が正常化しているので、担当医から何をしにきたかと問われたという。患者日く、「3年前に肝硬変と言われたので、その後ずっと治療してきたのです」と。このような押し問答があったと言うので驚いたわけである。私から見れば、この3年間のうち、肝肥大、脾肥大が正常化する方剤を出したのは半年足らずであったわけである(図14)。これでやっと方証相対の処方構成になったのではないかと思ったのである。
 ただ、本人持参の超音波検査報告書を見るに、右腎に直径1cmの嚢胞があるという。この肝病が腹証・脈証に於て、非常に難治性であったのは、この腎疾患があったからではなかったか。昔から肝病治療にはいつも腎機能を配慮する必要があると聞いていたが、この腎嚢胞の存在による腎機能障害が治療をさまたげていたのだということがわかったわけである。
 このようにみてくると、この治療方剤は変える必要がないので、現在もこの六味丸合当帰芍薬散加減を服用し、元気でいる。 

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◎方意について
1)六味地黄丸は、熟地黄・山茱萸・山薬・茯苓・沢瀉・牡丹皮の六味であるが、腎陰虚に用いる。肝血虚に用いる熟地黄に山茱萸を配合して肝腎を補益し、茯苓と山薬で健脾利湿し、牡丹皮で涼血清熱し、沢瀉で利水する。
2)当帰芍薬散の当帰は補血と滋潤の作用があり、芍薬6.0は血虚を補い川芎3.0も血を補い、気をめぐらす。それに、茯苓4.0白朮4.0を加えて、脾胃の水をさばき、沢瀉4.0で利尿する。一般に冒眩・心悸・小便不利を治するが、この患者の腹証には下腹即ち右回盲部・左S字状部に浮腫性の抵抗がある。これが当帰芍薬散の腹証である。この当帰芍薬散に清熱薬即ち柴胡3、黄芩1.5、山梔子1.5、決明子3を用いたのは何故か。
 この患者は時々パーッとあつくなったりすることが多く、初期には牡丹皮・山梔子の入った加味逍遥散を多用したが、眼も充血し易く、山梔子のうえに更に決明子を加えた。
私は心病・肝病を治すときには眼の充血を見逃さないように、この眼と心肝を一体のものとして弁証することにしている。これに莪朮3.5を加えたことは駆瘀血の働きを強めるためにであった。

◎莪朮・三稜の薬能について
1)莪朮について
辛・苦・気・温で肝経の血分に入り、気中の血を破るといわれている。肝経の聚血を通じ、瘀を消し、通経開胃化食解毒すといわれ、破血行気薬として補脾胃薬を加えて用うとなっている。東垣は肝に限らず、心・肺・脾・腎の積にも三稜といっしょに用うとなっており、小生もこの東垣に準じた用い方をしている。特に肝癌に於ては、莪朮・三稜をいっしょに用いている場合が多い。
2)三稜について
苦・平・肝経血分に入り、血中の気を破る。または、肝経の聚血を通じ、脾経に入って、一切血瘀気結、食停、瘡便老塊、堅積を散ず、となっている。
 私は、一切の積・聚・癌に多用し、効果をあげている。

◎癌の疼痛について
1)柴胡疎肝散・四逆散加減(行気正消)
疼痛のひどいときには、これに延胡索を加える。(症例3)
除痛しながら、柴胡・芍薬・延胡索は制癌効果をもっている。一挙両得というべきである。
2)血府逐瘀湯
これには四逆散が入っている。(血瘀阻滞)
3)導痰湯・半夏白朮天麻湯(健脾燥湿・化痰止痛)
4)黄連解毒湯(熱毒による)
5)八珍湯・附子理中湯(益気養血、温補脾腎)

■総括
1)肝癌の予防は、肝硬変を予防すること、又肝硬変を出来るだけ完全な随証療法をして癌化しないようにすること、漫然と治療していては予防にはならない。
2)現在のエキス漢方を中心とした場合は、完全予防にはならない。
3)駆瘀血薬について、もっと広げる必要がある。私は出来るだけ日本漢方家にとって身近な薬物を用い、中医学の先生方のように多種のものは必要ないように思う。
4)補脾胃を忘れてはならない。
5)症例1は糖尿病と肝硬変で、補中益気湯・莪朮三稜で悪くなり、四逆散加茯苓・白朮・莪朮三稜・延胡索兼八味丸で、肋骨弓下4.5 横指大が、4週間後には肝臓は2横指人に一気に縮小し、脾臓の2横指人は消失し、著効をみた。
6)症例2は肝腫瘤(インターフェロン治療後)腹証は、ことに左右ソ径上部の圧痛抵抗を第一目標とし、四物湯に柴胡・桃仁・莪朮を加えた方剤を投与したが、1年後、超音波検査では腫瘤は完全になくなった。
7)原発性肝癌左葉全摘後、右葉も癌転移疑あり。右葉は心下に1.5横指触知したが、心下痞硬曖気により、半夏瀉心湯に莪朮三稜を加え、足裏熱感を目標として六味丸を兼用した。1年間の短期問ではあるが、少なくとも癌の進行は停止し、体調は良好ということである。
8)10年前に脳血栓、7年前に大腸癌手術。術後2年、肺肝に転移し、肺部分と肝左葉を全摘。しかし、肝右葉に転移、来院した。現在2年間、漢方治療をしているが、肝腫大と圧痛により、四逆散加茯苓白朮延胡索を14週投与し、経過順調のように見えたが、高血圧、頭痛あり、痰も多く、脳梗塞の前兆もあり、八物降下湯に菊花・貝母・莪朮・三稜を加えた方剤を約12週、更に明朗飲に茵蔯蒿3、莪朮3、丹参3を加えたりなど紆余曲折の経過をたどった。最近のCT検査では、肺転移もなく、肝腫瘤も大きくならないで停止している。
9)血清肝炎後20年放置していた肝硬変であるが、6ヵ月前から罹患した慢性気管支炎を竹茹温胆湯加莪朮三稜の随証療法を行い、約3ヵ月後から、四逆散に茯苓・白朮・莪朮・三稜を投与したら、7ヵ月後には肝腫大は半分位になった。
10)アルコール性肝炎にも真武湯証あり、大黄牡丹皮証あり、寒証・熱証の両極端と寒熱爽雑のものあり、証に応じて論治することの重要性を提示した。
11)6年3ヵ月継続治療したが、慢性肝炎は肝硬変に進行し、危うく肝癌に移行するかに見えた肝硬変を薄暮の模索の如き治療でした。証を適格にとらえることに苦労したが、改善していないことに気付き、改めて脈証と下腹の腹証によって当帰芍薬散に柴胡・黄芩・山梔子・決明子・莪朮を加えた補肝・補脾に疎肝・清熱・駆瘀血薬を加えた方剤に六味丸を兼用することによって10ヵ月後には肝硬変がなくなり、肝炎にもどってきた症例である。柴胡剤を中心とした方剤を漫然と投与していたが、2年8ヵ月後のエコー検査では肝硬変と診断され、我が治療の無力さを証明したが、更に模索することに2年余、癌化することを危慎したが、最後は脈証と腹証を見直すことによって一気に軽快していった。

諸賢の随証治療に御参考になればと思い、 小生迷いの軌跡を報告いたしました。

※昨年10月、日中学術交流会議を癌を中心としてシンポジウムを開催したが、上海中医薬大学の肝癌専門家も莪朮、三稜が最も効果ありと言ったので、所は異なっていても、結論は同じであったことに驚いた。

【掲載:『漢方の臨床』43巻6号,1996年】

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瘀血と水毒「水と血の関係」

第11回日本瘀血学会学術総会 (1992年10月)

シンポジウム“瘀血と水毒”
水と血の関係

小川新

水毒という概念は、近世の日本漢方界に於いて、特に強調されてきたように思う。

吉益南涯は、父、吉益東洞の万病一毒説を気、血、水という三証に分けて布衍した「観証弁疑」及び「気血水薬徴」を著した。現代に於いても古方派の日本漢方家に於いては、日常の弁証論治に用いられている概念である。

この気・血・水論を病機としてみるとき、気を中心として血・水の病態像を呈したり、水を中心として気・血の病態像を生じたり、血を中心として気・水の病態像を現わしている。

今、「金匱要略」をみるに、水気に関する病証としては、

  • 痙湿暍病脈証治第二では、湿家の病について述べており、方剤としては、麻黄加朮湯、麻杏薏甘湯、防已黄耆湯、桂枝附子湯、白朮附子湯、甘草附子湯がある。
  • 痰飲咳嗽病脈証并治第十二には、痰飲、懸飲、溢飲、支飲という四飲と夫々の方剤が紹介されているが、水と臓器の関係も述べられている。即ち、水在心、水在肝、水在脾、水在肺、水在腎、
  • 水気病脈証并治第十四には、心水、肝水、肺水、脾水、腎水というように表現されている。

などである。

1.水と五臓の症候

A-1:心水
其身重而少気、不得臥、煩而躁。これは、心不全の状態であり、身が重く陰部も腫れて大きくなり、呼吸困難があり、横に寝ることが出来ない。真武湯。
A-2:水在心
心下堅築し、短気し、水を飲むことを欲せず。これは、留飲というものである。甘遂半夏湯の行く所である。

B-1:肝水
腹大きく、不能自転側、脇下腹痛し、時々津液微に生じ、小便は続いて通じてはいる。これは肝硬変末期にみられるものである。柴胡疎肝湯合四苓湯の行く所か。
B-2:水在肝
肝経の留飲は脇下支満し、くしゃみすると脇腹がひきつり痛む留飲である。
小柴胡湯などの柴胡の方剤の行く所である。

C-1:肺水
其身腫、小便難、時々鴨溏。身体に浮腫があり、小便困難で、いつも鴨の糞のように軟便を排泄する。越婢加朮湯。
C-2:水在肺
吐延沫、欲飲水。肺が水飲に苦しめられるとひきつづいて唾液を吐き、口が渇き水を飲みたくなる。五苓散や甘草干姜湯の証である。

D-1;脾水
其腫大、四肢苦重、津液不生、但苦少気、小便難。脾水を患っている病人は、腹部が膨満し、隆起し、四肢が非常に重く口の中が乾き、津液がなく、息切れして、小便が困難である。実脾飲、補気健中湯の証に近い。
D-2:水在脾
少気身重、身体が沈んだように重く感じ、無理して歩けば呼吸困難を感ずる。脾虚の方剤である。六君子湯、四君子湯、苓桂朮甘湯の証のようだ。

E-1;腎水者
其腫大、臍腫、腰痛、不得搦、陰下湿、如牛鼻上汗、其足逆冷、面皮痩。腹部が膨満し、臍部が腫れて突出し、腰が痛んで、小便をするのが困難であり、外陰部は、牛の鼻の上が汗をかくようにしめっており、足が冷える。顔ははれずに痩せている。八味腎気丸の証である。
E-2;水在腎
心下悸、腎臓が水飲によって障碍されると水気が上逆して心窩部に動悸を感ずるようになる。苓桂朮甘湯、苓桂味甘湯の証である。

又痰飲として、溢飲、懸飲、支飲、寒飲等の分類があり、夫々の方剤がある。風水、皮水、裏水、黄汗など水気に関するものがあるが、これら凡ては、皆水に関することを、五臓六腋や体表に関係してのべているのみで、血との関係についてはのべていない。

2.水と血との関係について

金匱要略の水気篇(239條)

師曰、寸口脈沈而遅、沈則爲水、遅則爲寒、寒水相搏、趺陽、脈状、水穀不化、脾気衰則驚溏、胃気衰則身腫、少陽脈卑、少陰脈細、男子則小便不利、婦人則経水不通、経爲血、血不利則爲水、名曰血分

解釈

寸口の脈象が沈んでいることは、水気の病であることを示しており、遅であるのは、体内に寒邪があることを示している。寒邪と水気が一緒にあれば、趺陽の脈が代脈となる。脾気が衰え、飲食が消化出来ないのでアヒルの糞のように水分の多い便が出る。胃気も同時に衰えているので、水邪のために身体に浮腫を生ずる。趺陽の脈を骨に至るまで深くおさえてはじめふれる脈ということは、胃気と脾気共に衰えて水気の病をなしていることを示している。

さて、次の節は、「少陽脈卑、少陰脈細」となっている。この少陽の脈卑とは何を意味するのであろうか。私は、これは、手の小腸即ち寸、関、尺のうちの関脈が強大のようにみえても深く沈めて脈をみれば孔のように無力なものをいう。即ち、この卑脈は革派のことを言っているように思う。又足の少陰脈は細であり、腎気が衰えていることを示している。肝は手の関脈で肝虚を示し、腎は足の少陰脈で腎虚を示していることを教えている。何故、手の尺脈で腎虚を言わないで、足の少陰脈を証として登場させたのであるかという疑問が残るはづである。それは、私の多年の手脈、足脈の同時観察によれば、脾気は足の趺陽で、肝気は手の関脈で、腎気は足の少陰で診察することによって、脾、肝、腎の虚証を辮証しないと手脈だけでは、誤り易いことが多い。一般に日本及び中国共にこの足脈のこと、人迎のことを無視している。

次に「男子小便不利」というのは、男子の性ホルモンの機能が衰えていることを示し、「婦人則経水不通」は、生理不順ないし無月経であることを言っている。即ち、肝血が衰えて水気の病になっているが、病機から見れば、病因は血分の病ということになる。

この條文は、脾胃の虚証からきた水気病と、肝腎の虚証からきた水気病の違いを教えているものである。後段の文は肝血の病から発した水気病を教えている。脾胃の病であればこれ対する方剤を選択する。脾胃の病でおこった水気病の後に月経がなくなった場合は、脾胃を治療すれば、月経のような血の病は自然に回復する。若い女性でも、六君子湯を投与することによって5年振りに生理が恢復した症例があるが、これは、現代婦人科学の大きな盲点ともなっている。婦人科専門医が血分を中心としたホルモン学の不備に気付いて学習なさるようお願いするものである。

先述の水気篇にいう血分の病態像を我々は瘀血と呼んでいる。大切なことは、瘀血があって水気病をおこしたり、水気病によって瘀血をつくることもあるので、脈証をみる上でも、手脈のみならず、足の趺陽や少陰の脈が必要となってくるのである。それ故、張仲景師は、傷寒卒病論集の序文に於いて、「按寸、不及尺、握手、不及足、人迎、趺陽、三部不参……」という風に警鐘を鳴らしていることを想起して欲しいものである。

3.三焦論について

霊枢本輸第二には「三焦者、属腎、腎は上肺に連る。故に両臓を将とす。三焦者中涜之府也、水道出づ、膀胱に属す。これ孤之府也。是六府の所と合するもの」又、素問、霊蘭秘典論には、「三焦者、決涜之府也。水道出づ」とあるが三焦は膜原(医学正伝)を指し、上は肺・心に連なり、中焦は脾・肝に連り、下焦は腎・膀胱に連なり、各臓腑や膚表にまで影響している。

この水道に最も関係深いものは、体液即ち組織間液であるが、このような水の動きを霊枢経水編第十二には、「経脈十二者、外合十二経水、而内属於五臓六府・・・夫経水着、受水而行之、五臓者、合神気魂魄而臓之、六府者、受穀而行之、受気而揚之、経脈者、受皿而營之・・・」、また「此五臓六府十二経水者、外有源泉而、有所稟、此皆内外相貫、如環無端、人経必然」とある。

前述経水篇の言わんとする所は、経脈即ち現代医学で言う血液循環に近いものは、内部では五臓六腋に属しているが、それは外、十二経水と一緒になって五臓六腋に属して機能しているのだというのである。今、五臓六腑を中心として経脈を考えるときは、経水を忘れてはならないというのである。

4.組織間液について

私は古典でいう経水を現代医学に於ける組織間液という風に考えているので、五臓六府の循環は、組織間液を忘れては成り立たないと思っているが、これを現代生理学者として最初に提唱されたのは、故広大名誉教授、西丸和義(やすよし)氏である。

西丸氏はその著、「脈管学の基礎(体液循環の概念)」(1970年マイライフ社 出版)で、

「ハーヴェイの血液循環の概念では、心臓は中枢で、末梢は毛細血管である。しかし、体液循環の立場からは、末梢は組織間すなわち結合織、組織腔、器管溝である。体液とは、血液、組織液、リンパ液のことで、これが心臓から心臓へと脈管と組織間を流れ、全身を循環するものである。この流れは主として心臓ならびに脈管壁とその周囲組織との収縮性に基因する水力学的圧差ならびに膠質滲透圧による体液の流れにほかならない」

と述べている。

この西丸学説はこの経水の世界を完全に証明したとはいえないまでも、漢方家や、針灸家が経脈や臓腑に偏って観察し、他方現代医学者が、大小循環、微小循環のみに偏って観察治療しながら、誤った治療医学を構築していることへの警鐘である。

【注】西丸和義: 広島大名誉教授/日本脈管学会の創設者/医博/平成2年5月15日卒/参照:「医人伝」広島医学Vol.57,No.7,2004/西丸和義先生と小川新に関する記事:広島市医師会HPから[PDF]

 

5.三焦図について(図1)

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これは、経水が、経脈と一緒になって、心、小腸、肺・大腸の上焦、肝・胆、脾・胃の中焦、腎・膀胱、命門・相火の下焦に働いている生理機能を表現したものである。五臓六府の寒熱を考える際に必要缺くべからざる経水の世界を三焦という概念でまとめたものである。

この通路を古典医学では、膜原(医学正傳)と言ったが、私は腔、溝、結合織、脈管周囲腔のような組織間であり、ここに体液流があるという風に考えているものである。

この三焦と臓腑との関係を古典的表現法で説明するならば、次のごとくになる。三焦は五臓六腑と連系し、上・下・左・右に交通する組織間液の通路である。邪 が表から入り、三焦を経由して臓腋に内伝し、心⇔肺、肝⇔脾、腎⇔命門という風に横方向に伝変するものと、又、邪を上に受けると、三焦を経由して次第に下 方に向い、又、中焦、下焦から上方に向い縦方向に傳変するものとがある。則ち縦方向の形式は、上焦⇔中焦⇔下焦⇔上焦⇔....という風に伝変するもので ある。
中焦下焦この図は、円形の中で、この上下、左右の伝変を説明しようとしたものである。

 

6. 臨床の実際

    (略)

7.総括

  1. 水毒という概念が意味を持つためには、古典医学に於ける水即ち体液とは何かということを解明する必要がある。そこで、金匱要略の水気に関する湿家の病、痰飲、咳嗽病と臓器の関係、更に水気病脈証第14の心水、汗水、肺水、脾水、腎水と痰飲、咳嗽病第12の、水在心、水在肝、水在肺、水在脾、水柱腎の内容を比較解説し、その方剤を紹介した。
  2. 次に水気篇に於ける寸口、趺陽、関、少陰の脈を紹介したが、それは、脾胃の気の虚衰による軟便と身体の浮腫と、肝血、腎の虚衰による小便不利、月経不通即ち血分の病とをのべている。それは、肝血虚衰を中心とした水気の病証と、脾胃を中心とした水気病との鑑別が大切であるからである。臨床の実際に於いては、血分の病いの水気病であっても、水気病を先きに治療する場合も多く、瘀血があっても、水気病から治療〕まじめねば実効がないからである。
  3. 三焦論についてのべた。五臓六腑の瘀血を論ずる場合には、経脈のみならず、経水を考えねばならないことを強調した。心臓、大血管、微小循環という単純な循環理論ではなくて、体液循環の立場から結合織、組織腔、器管溝という立場から、五臓六脆をはじめ、脳脊髄腔、関節腔、胸腹膜腔など身体全体を考え直す必要があることを強調した。
  4. 私の考えている三焦論の一部を図説してみた。これは小生の創案であるが、不備なところも多く、読者諸賢によって、補正いただくことをお願いする積りである。この図は生理的状態を説明したもので、邪が三焦を経由して、縦方向、横方向に博愛する病態像は面かれていない。
  5. 瘀血と水が関係する臨床の実際を2つの症例で提示した。この中で、足脈の趺陽と少陰脈が瘀血性腹証と関聯深いことを述べた。今日、伝統医学を学習する我々にとって、手脈、足脈、胸腹証の厳しい習練が必要であることを痛感する。

8.結語

嘗って、吉益東洞は、病人の七、八割は水を治することにあると言ったが、我々は、体液の停滞の奥にひそむ瘀血の存在を出来るだけ精確に理解しながら治療医学に役立てることが必要である。
それは、五臓六腋の全疾患という非常に広範囲に亘る領域であり、癌をはじめとする難病の治療にとっても最大のテーマであるからである。

[OGAWA Arata_1992/10/1]

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腹証の問題点

腹証の問題点

小川新

  1. 経時的観察:腹証という空間的な場において経時的観察が欠けているので、実証性の少ない腹証となる。
  2. 虚実:腹証において腹壁の抵抗を腹圧として虚・実・虚実間という虚実論で腹証を弁ずることは、傷寒論金匱要略の古典医学の本流から言えば外れているようだ。腹証の一部分では有用であるのみだ。腹圧を中心として、漫然と虚実を論ずることの弊害は実に大きい。このような曖昧な虚実論が、日本漢方の特徴として外国に伝えられと、白地の布に墨で字を書いたように、それを消し去って寒熱を語っても、少々の努力では消し去らない現状は、最近訪れた上海中医薬大学で確かめたことである。
  3. 胸証:胸証なくしては腹証は完結しない。このことは腹証研究の初めから常に気になっていたことだが、幸い「腹証奇覧」「腹証奇覧翼」には図をもって胸証が記されているので、このことを参考にして研究を進めてきた。結果から言えば、腹証から胸証へ、胸証から腹証へ、胸証と背証、腹証と背・腰・臀証というふうに人体を上下前後から触れるべきである。
  4. 脈証:脈証は、胸腹証と如何なる関連があるかを観察する必要がある。さらに傷寒卒病論集の末尾に近く、「按寸不及尺、握手不及足、人迎・趺陽・三部不参」と言って張仲景は二千年も前から嘆いているのに、中国でも日本でもこのことに無関心であることは何ということであろうか。脈診のみの弁証は不完全であると説いている。そこでは、脈証と胸腹証との相関関係的弁証は不可能になるのです。
  5. 寒熱:近代の腹証論は、『傷寒論』『金匱要略』を中心として発達しながら、虚実論を中心とした腹証論に偏向し、寒熱という基礎理論に基づく腹証の研究が疎かしている。

以上5項目に亘る古典医学、特に日本漢方的腹証の問題点を述べた。

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胸腹証論 続「古今腹証新覧」其の一(第3回)

日本に於いて特に発達した腹証ではあるが、近代の腹証論は、『傷寒論』『金匱要略』を中心として発達した。

しかし不知不識のうちに・・・ 

「虚実論を中心とした腹証論に偏向し、陰陽寒熱という基礎理論に基づく腹証の研究が疎かになっている」のではないか・・・

[此の著述は「漢方の臨床」40卷3号に掲載されたものです]

(第3回)
胸腹証論 
続「古今腹証新覧」其の一

目次

1. 腹証研究の基礎に対する提言
2. 腹証の目的
3. 腹証の方法論
  (1) 時間と空間
  (2) 証としての取捨
4. 腹証における寒熱
  (1) 陽明病 
  (2) 少陽病
  (3) 胸脇苦満と心下痞硬の鑑別
  (4) 三陰病 

5. 胸証
  (1) 名称
  (2) 胸証の方法
  (3) 寒熱
  (4) 実火と虚火
  (5) 胸部の寒熱に対する生薬
   (a) 熱邪に対する生薬 
   (b) 寒邪に対する生薬
  (6) 胸熱に対する方剤 
  (7) 胸寒に対する方剤(温裏剤)
  (8) 黄連解毒湯
   (a) 黄連解毒湯加方の症例
   (b) 黄連解毒湯の方意
  <私案>
    1) 黄連
    2) 黄芩
    3) 黄柏
    4) 山梔子
6. 総括
7. 結語

5. 胸証

(1) 名称

胸部中央の広い部分の胸骨の部、心下から喉頭に至るまでを心部という。この心部と側胸部との間の乳線を中心とした部分を胸部といい、腋窩線の側胸部を側胸といい、その下部で肋骨弓部を胸脇と呼んでいるが、乳線が肋骨弓部と交わる部分も胸脇部に含まれることになる。

(2) 胸証の方法

腹証の場合は、心下から正中線を下り降りるが、胸証は、心下のすぐ上から肋骨中央と上に昇り、頚部の咽喉部に至るまでの寒熱を判定する。次に両方の肩胛関節前面の肺経の募穴である中府を中心とした部位から両側の胸部を下に降り、胸脇部に至るまで、また側胸部を上から下へと胸脇部に至るまでの寒熱を観ることにしている。

(3) 寒熱

術者の手指がテスターであるから、術者の手に病的な寒熱があってはならない。自らの手に煩熱があったり、厥冷があれば、被検者の胸証に於ける寒熱は不精確である。寒熱の深さについて言えば表在性の寒熱は、手に触れればすぐ解るが、深い部分からの寒熱は五六秒位、手を停止してみたほうがよい。同じように心の部分の熱であっても、その範囲は案外狭く、縦五〜十センチ位の長さのことも多い。一番縦に長いのは、胸部中央の中部であり、上部或いは下部は熱の縦の範囲は小さいことが多い。

胸部中央上部の熱感は縦に頚部にまたがり、横方向には鎖骨下部から肩胛関節前面の部にむけて広がっていることもある。両側の経穴中府を中心として冷感をもつ人は脈証でも肺虚の人が多い。その点、胸骨の中央部に熱感をもつ人は、小腸実、肝・胆・胃の実証が多い。両側の胸脇部の寒熱をみることは大切である。 胸脇苦満はなくとも、熱や冷があるものである。胸部の冷感は全体に広がっていることも多い。また、左の心臓や胸脇部に冷感がある。

(4) 実火と虚火

 胸証に於いては、多くは実火であるが、虚火とみるべきものも少なくない。虚火はその多くは、下腹に瘀血性抵抗があり、その反応として胸の熱である。まず、実火が理解できないようでは、虚火は分りにくい。底深いところからくる熱、即ち実火は見逃すことは少ないが、比較的浅いところからくる軽い虚火は見逃され易いものである。
 たとえば、六味地黄丸を必要とする腹証の場合、知母や麦門冬を必要とする虚火が心部の上部から咽頭にかけて存在するものである。乾燥した虚火を感ずるものである。
 五苓散と真武湯、白虎湯と茯苓四逆湯、麻杏甘石湯ないし越婢加半夏湯などの石膏を必要とする証と苓甘姜味辛夏仁湯の寒熱、苓桂朮甘湯と明朗飲、五苓散と巫神湯、逍遥散と加味逍遥散、温胆湯と清熱温胆湯、半夏瀉心湯と甘連梔子湯、四物湯と温清飲などの寒熱による鑑別、柴胡清肝散(一貫堂)、竜胆瀉肝湯、荊芥連翹湯などまことに広い範囲に及んでいるので、胸証を研究するほどに、腹証の弁証の範囲が明瞭になるものである。
 この臨床の実際について詳述することは、今回の目的ではないので、研究方法とその展望について述べることにとどめた。

(5) 胸部の寒熱に対する生薬

(a)熱邪に対する生薬

  1. 攻下瀉火;大黄
  2. 清熱瀉火;山梔子・石膏・竹葉・夏枯草・決明子
  3. 清熱燥湿;黄連・黄芩・黄柏・龍胆草
  4. 清熱化痰;竹茹・栝樓根・栝樓仁・前胡・貝母・天竺黄・竹瀝・昆布・海草・濠石・蘇合香
  5. 清熱涼血;牡丹皮・乾地黄・犀角
  6. 辛涼解表;柴胡・香鼓・菊花・薄荷・葛根・升麻
  7. 清熱解毒;重薬・連翹・金銀花
  8. 虚熱に対し;地黄・牡蛎・地膚子・甘草・黄芩・天門冬・麦門冬・知母

(b)寒邪に対する生薬

  1. 温裏祓寒;附子・烏薬・乾姜・蜀檄・肉桂・呉茱萸
  2. 温化寒痰;半夏・天南星・薤白
  3. 辛温解表;葱白・生姜・桂枝
  4. 虚冷;当帰・川芎・乾姜・桂心・茱萸・附子・烏頭

(6)胸熱に対する方剤

  1. 瀉下剤(寒下) 
       大承気湯・小承気湯・調胃承気湯・備急丸・風引湯
  2. 清熱瀉火剤 
       黄連解毒湯・三黄瀉心湯・龍胆瀉肝湯・涼膈散・左金丸・清胃散
  3. 清熱利湿 
       茵蔯蒿湯・梔子鼓湯
  4. 清熱化痰   
       小陥胸湯・柴胡陥胸湯・竹茹温胆湯・清熱温胆湯
  5. 辛涼解表 
       麻杏甘石湯
  6. 解表攻裏 
       大柴胡湯
  7. 気分の清熱 
       白虎湯・白虎加人参湯・白虎加桂枝湯・竹葉石膏湯
  8. 和解剤 
       (イ)少陽和解;小柴胡湯 
       (ロ)肝脾和解;四逆散・柴胡疎肝散・逍遥散・加味逍遥散 
       (ハ)腸胃の調和;半夏瀉心湯・黄連湯
  9. 虚熱 
       (イ)麦門冬湯・味麦益気湯・味麦地黄丸・
          六味丸・麦門冬飲子
       (ロ)黄連阿膠湯・補陰湯
  10. 瀉熱破瘀 
       大黄牡丹皮湯・桃核承気湯・抵当丸・下瘀血湯

(7)胸寒に対する方剤(温裏剤)

  1. 温中理寒
        理中丸・人参湯・附子理中丸・桂枝人参湯・大建中湯・
        小建中湯・当帰建中湯・黄耆建中湯・呉茱萸湯・
        千金当帰湯・
        当帰四逆湯・当帰四逆加呉茱萸生姜湯
  2. 回陽救急
        真武湯・茯苓四逆湯・通脈四逆湯
  3. 温化水湿 
        桂枝加附子湯・桂枝加茯苓附湯
  4. 温化寒痰
        苓桂朮甘湯・二陳湯・括呂薤白桂枝湯

(8)黄連解毒湯

 (a)黄連解毒湯加方の症例

  四十歳の主婦、初診、一九八六年十月
 現病歴:ロ内炎が若いころよりあった。約三ヵ月前から、原因不明の蕁麻疹が手足、腹背など全身にわたり出てきた。
副腎皮質ホルモンを服用するとよくなるが、服用を止めるとすぐに再発する。月経周期は四十日であったが、ステロイドホルモン剤を飲んだためか二十六日くらいになった。大、小便は正常である。
 現症:体格は筋肉質でしまっている。血色のよい男性的な気性である。
 腹証は図(略)のように心下にわずかに水滞があるが、これは証としては無視してよいほどのものである。下腹は、臍傍の左右下に桂枝茯苓丸のような筋性抵抗がある。その下、両鼠蹊上部には圧痛と抵抗があった。
 治療及び経過:腹証を無視して蕁麻疹に最も多用している茵蔯蒿湯を投与した。二週間後には蕁麻疹は半減したかにみえた。そしてなお投薬すること十週間を費やしたが、蕁麻疹は軽度のものが残って治り切らなかった。
 そこで初診時の腹証をみるに、正確に四物湯の腹証が記載されている。どうしてこのように迷ったのかと思い、四物湯を合方した温清飲を投与した。投与後、三日目には完全に蕁麻疹は治まった。念のために二週間あまり投薬を続けた。そして足の少陰の脈が左右ともに微であったものが沈(++)になった。初診の時から腹証に従い温清飲を服用させていればもっと早く治ったと思われる。
 この温清飲は、四物湯の腹証と黄連解毒湯の胸熱が合併したものである。これについては『瘀血研究』第四・五回合冊本を参照して下さい。

 (b)黄連解毒湯の方意

『外台秘要方』では、「大熱盛にして煩嘔、呻吟錯誤、眠を得ざるを療す」

『医方考』では、「陽毒の竅察上りて、血を出だす者、此の方これを主る」

『古今医鑑』では、「心火の暴かに甚しきを治す」

『医方集解』(清、王昴)では、
「三焦の実火、相伝此の方、太倉公の火剤となす。
黄芩を用いて上焦に於ける肺火を瀉す。
黄連にて中焦に於ける脾火を瀉す。
黄柏にて下焦に於ける腎火を瀉す。
山梔子にて三焦の火を通瀉し、膀胱より出だす。
蓋し陽盛んなれば則ち陰衰え、火盛んなれば則ち水が衰える。故に大苦・大寒の薬を用いて陽を抑えて陰を扶け、其の亢ぶり甚しき火を瀉し其の絶えんと欲する水を救う。然るに実熱にあらざれば軽がるしく投ずること能わず」

このようにみてくると、上焦に効くものは、肺火を瀉する黄芩と、上・中・下焦を通瀉する山梔子のみということになる。しかし、胸の心火を瀉する薬能は黄連にもある。

 〈私案〉

(1)黄連

黄連は心下中焦の実火が胸骨下部の中部に及んでいることが多いので、この面からみれば、上焦の心火を瀉すということになっているが、黄連の薬能の主体は心下の熱を瀉すのであるが、心下の熱は上焦に及ぶことが多く、心火を瀉すと言っても、それは心下を瀉するから兼ねて心火をも瀉すということである。『薬徴』では、心中煩悸を主治し、旁ら心下痞、吐下、腹中痛を治すと言って症候でまとめているが、寒、熱のことは明記していない

(2)黄芩

黄芩は上焦肺気を瀉すということになっているが、柴胡と協力すれば、胸脇苦満の熱を瀉すことになる。黄芩の薬能には諸説あるが、一般に肺火を瀉し、脾湿を治すとか、大腸の火を治すと言うが、『薬徴』では、心下痞を主治し、旁ら胸脇苦満、嘔吐、下痢を治すと言っている。しかし、先きに私は黄連は心下の火を中心として心火を瀉すものだということを結論づけたが、私は胸腹証の立場からどこの部位を中心とした薬効であるかということに非常にこだわって研究しているので、黄芩の薬能を次のようにまとめた。

  • 黄芩は、胸部中央ではなく、中央の心部よりは両外側の胸部に位置する肺火を瀉す。
  • 黄芩は、柴胡といっしょになれば、胸脇部の熱を取る。(小柴胡湯、大柴胡湯)
  • 黄芩は、黄連・半夏といっしょになれば、胃の募穴、中脘を中心とした胃土の部に働いて脾の湿熱と共に更に下方の水分穴から臍傍を下り、大小腸の火を瀉するものである。(半夏瀉心湯、生姜瀉心湯、甘草瀉心湯)

(3)黄柏

黄柏は下焦命門の火、小腸の火、膀胱の熱を瀉す。
要するに、腎火を瀉すというのが共通の意見である。黄柏の入った方剤は沢山ある。日常多用するものとしては、痿証方、烏梅丸、益気聡明湯、黄解丸、黄解散、黄連消毒飲、加味四物湯、加味八脈散、荊芥連翹湯、柴胡清肝散、止痛附子湯、梔子柏皮湯、滋陰降火湯、滋腎通耳湯、七物降下湯、龍胆瀉肝湯、知柏六味丸、大補陰丸、清熱補血湯、朱砂六神丸。

(4)山梔子

山梔子は『薬徴』では、心煩を主治し、兼ねて発黄を旁治するとなっている。『本草綱目』では、梔子は色赤く味は苦いから心に入り煩を治すと言い、胃中熱気を治すると言い、学者の言う所は、取るべからずと言う。『古方薬議』に於いて浅田宗伯は、味苦寒、胸心、大小腸の大熱、心中煩悶を療し、小便を通じ、五種の黄疸を解し、大熱を治し、労復を起すと述べている。『神農本草経』では、五内邪気、胃中熱気、面赤、酒疱、白癩、赤癩、瘍瘡傷を治す、『名医別録』では、目赤熱痛、胸心、大小腸火熱、心中煩悶するを療す。

愚按ずるに、胸証の実際からみた場合、山梔子の火熱の証は、黄連よりはずっと喉頭に近く、胸骨中央部の上の部分を中心にした熱感帯がある。それは、逍遥散に山梔子、牡丹皮を加えた加味逍遥散の胸証で、多数証明してきたところである。胸骨上部を中心に燃えるような熱感がはっきり存在する。そして脊部の項部のつけ根から肩胛間部にかけて冷感帯がある。加味逍遥散の典型的な証は、上胸部から顔にかけて熱感帯があり、熱感によって汗が出ると、すぐその後には、寒気がするというような熱と寒の往来する自律神経失調症である。

その点、小柴胡湯の胸脇苦満の時には、これと反対にはじめに寒が来り、あとに熱感がくるという往来寒熱である。
加味逍遥散は往未熱寒である。胸熱が、胸骨上部に限らず、胸骨中央部、更に下部にまで及ぶときには、黄連を加えるべきである。

『衆方規矩』の逍遥散の項には、五心煩熱せば、麦門冬・地骨皮を加え、腹痛には延胡索、渇を発せば麦門冬・天花粉を加うなど二十数種に及ぶ加味方が述べられているが、麦門冬・天花粉の加味方のときには、胸骨上部から喉頭にかけての虚熱による燥がみられる場合であり、胸証に於いても、直火となっている。

6. 総括

  1. 一般に伝統医学の証を弁ずる場合、陰陽寒熱表裏虚実という八綱の弁証に習熟しなければ、経験的実学としての治療技術は発揮できないわけである。日本に於いて特に発達した腹証ではあるが、近代の腹証論は、『傷寒論』『金匱要略』を中心として発達しながら、不知不識のうちに、虚実論を中心とした腹証論に偏向し、陰陽寒熱という基礎理論に基づく腹証の研究がおろそかになっているように思われる。 腹証に於ける寒熱について、特に陰陽にもとづく心下の腹証の寒熱について、生薬構成の面から詳述した。胸脇苦満と心下痞硬の成立機転とその鑑別についても、構成生薬と薬徴の面から考察した。
  2. 腹証の方法論において、経時的観察を大切にしなければ、実証性のある腹証にならないことを力説した。
  3. 手の寸関尺の脈は、足の少陰脈、趺陽脈、頚の人迎脈を参考にしなければならないが、腹証とこれら三部の脈との相関性をみなければ胸腹証に精確を期し得ないであろうことを述べた。証を弁ずるときのみならず、治療効果の判定の上でも、未病の予防の面からでも非常に大切なことである。
  4. 胸証のことは、『腹証奇覧』の稲葉文礼、『奇覧翼』の和久田叔虎以外は、切診の中に入っていないが、私は、腹証で不明な部分を胸証によって証の決定ができるという多数の臨床の実際から、今回は、その胸証の方法や部位の名称について日常考えているところを述べた。
  5. 特に胸証における寒熱について、熱感による実火、虚火、冷感による寒、部位による特徴と薬能との関連性、証に応じた方剤について詳述した。それは、日常の臨床に於ける体験的薬能論を抽象化したものである。ただし、私は、これで胸証のすべてを述べたつもりはない。たとえば、胸痺心痛を主訴とした虚血性心疾患に於いては、寒熱のみならずその重症、軽症の程度、痰濁に於ける寒熱、瘀血、飲食塊などを鑑別しなければならない。また肺疾患に於いても、痰、熱痰、燥痰、湿痰、気痰、風痰、食痰、老痰等をも鑑別する必要がる。近代科学的精密検査で見逃され易い寒熱の病態像を充分に理解しながら心・肺・脳・口腔・耳・鼻・咽喉・眼の疾患の治療に生かしてほしいものでる。
  6. 黄連解毒湯の方意について、胸腹証の立場から黄連・黄芩・黄柏・山梔子の薬能、薬徴について述べた。

7. 結語

 「私の腹証研究」という表題で、第三十七回日本東洋医学会総会で、会頭講演の機会を与えられたのは、一九八七年の春であったが、その際は、胸熱及び六経 弁証による心下の病証と生薬、方剤についての大要を述べた。その後、胸腹証の寒熱と手脈、足脈、人迎脈との関連性、時には舌証をふくめた全身の四診による病態像把握の習熟によって少しづつ明らかになった弁証論治の新しい展開を報告した次第である。
 なお、項部から腰臀部に至る脊証などを含めた総合的弁証論泊の臨床経験についてはできる限り、逐次発表する予定である。
 諸賢の御批判、御叱正の程お願い申し上げます。

(おわり)

〈参考文献〉
 『方剤学』南京中医学院編、燎原
 『重訂古今方彙』甲賀通元
 『古方薬議』浅田宗伯、日本漢方医学会出版部
 『古今腹証新覧』小川新・池田政一、漢方の友社
(絶版)
 『漢方後世要方解説』矢数道明、医道の日本社
 『腹証奇覧・全』稲葉文礼・和久田叔虎、医道の日本社
 『漢方診療医典』大塚・矢数・清水編、南山堂
 『本草備要』汪昂、寺師睦宗、三考塾
 『医方集解』汪昂、寺師睦宗、三考塾
 『本草綱目序例』李時珍
 『薬徴』吉益東洞全集
 『漢方の臨床』三十九巻三号
 『日本東洋医学雑誌』三十七巻四号、日本東洋医学会
 『医心方』メディカルカンポー、大杉製薬
 『傷寒雑病論』日本漢方協会編、東洋学術出版社
 『衆方規矩』曲直瀬道三、燎原
 『瘀血研究』第四、五巻合冊、日本瘀血学会
 『腹証への誘い』ビデオ十巻、小川新、漢方の友社
(絶版)

 (医師小川新:広島市:日本東洋医学会名誉会員)

掲載「漢方の臨床」40卷3号

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胸腹証論 続「古今腹証新覧」其の一(第2回)

[此の著述は「漢方の臨床」40卷3号に掲載されたものです]   

日本に於いて特に発達した腹証ではあるが、近代の腹証論は、『傷寒論』『金匱要略』を中心として発達した。 

しかし不知不識のうちに・・・  

「虚実論を中心とした腹証論に偏向し、陰陽寒熱という基礎理論に基づく腹証の研究が疎かになっている」のではないか・・・

(第2回)
胸腹証論 
 続「古今腹証新覧」其の一

小川新

目次

1. 腹証研究の基礎に対する提言
2. 腹証の目的
3. 腹証の方法論
  (1) 時間と空間
  (2) 証としての取捨

4. 腹証における寒熱
  (1) 陽明病 
  (2) 少陽病
  (3) 胸脇苦満と心下痞硬の鑑別
  (4) 三陰病 

5. 胸証
   (1) 名称
   (2) 胸証の方法
   (3) 寒熱
   (4) 実火と虚火
   (5) 胸部の寒熱に対する生薬
      (a) 熱邪に対する生薬 
      (b) 寒邪に対する生薬
   (6) 胸熱に対する方剤 
   (7) 胸寒に対する方剤(温裏剤)
   (8) 黄連解毒湯
      (a) 黄連解毒湯加方の症例
      (b) 黄連解毒湯の方意
  <私案>
    1) 黄連
    2) 黄芩
    3) 黄柏
    4) 山梔子
6. 総括
7. 結語

4. 腹証における寒熱

1_2  この表 (表1) は、心下の痞ないし痞硬、痞堅の腹証患者の陰陽寒熱分類を軸とし、それに痰飲・気・血・水等を参考としてまとめたもので、主として『傷寒論』『金匱要略』出典の方剤の病性、病位等の病機を解析するための最も簡単な基礎的素材を提供するためのものである。「その他」という項目に於いて、甚だ曖昧なところがあることは、著者も充分に承知しているつもりであるが、日本漢方の特徴の一つである吉益東洞の『薬徴』にみられるように、できるだけ臓腑の虚実論は排除してまとめたものである。
 私の臨床に於いては、虚実論は『傷寒論』系の脈状診と共に行っている。それは、日本では針灸の経絡治療家、特に井上恵理先生によって提唱された六部定位の脈診である。手の左右の寸・関・尺の六部で、五臓六俯の虚実を診断することにしている。

(1) 陽明病(表2)

2_2  陽明病としての心下の病態像には、胸腹証としての心下痞堅、心下堅、心下満痛、心下痞があり、それぞれには、脾胃及び心下の熱を治めるような生薬が入っている。木防已湯には石膏が入り木防已去石膏加茯苓芒硝湯には石膏の代わりに芒硝が入っている。芒硝と大黄の組み合せの方剤としては、大承気湯、調胃承気湯がある。また、心火を瀉する黄連の入った方剤としては、三黄瀉心湯、大黄黄連瀉心湯がある。また、肺火と共に脾胃の熱を瀉する黄芩の入った方剤としては、大柴胡湯、三黄瀉心湯がある。
 ここに興味のあることは、寒飲を治する生姜・半夏は、大柴胡湯にしか含まれていないことである。要するに、陽明病の特徴は、心下に熱をもっていることである。これは胸熱をもった胸証ともなるのだが、これらの方剤には、大黄・芒硝・石膏・黄芩・柴胡が入っているということである。

(2)少陽病(表3‐a・b・c)

3a_1_4

3b_2 3c_3  少陽病といえば、すぐ小柴胡湯を思いつくようであるが、胸脇苦満を主証の一つとしているものである。大塚先生は、胸脇苦満には心下痞硬を伴うことが多 く、胸脇苦満と痞硬との鑑別がはなはだ難しいと言っておられ、約三十年前、『漢方の臨床』誌主催の「腹証を語る」という数回に亘る座談会記事が、載せられいたが、大塚敬節、矢数道明、間中喜雄、細野史郎、木下晴都先生等漢方・針灸界を代表する先生方が、この鑑別の困難さについて述べておられたのです。
 しかし、この問題は避けて通れない道でもあるので、この点について後述する積りである。
 さて少陽病として心下に異常のあるものは、三十二方剤がある。そのうち、柴胡の入った方剤は、小柴胡湯、大柴胡湯、四逆散、小柴胡湯合半夏厚朴湯、補中益気湯、柴苓湯、柴胡桂枝湯の七方剤であり、黄芩の入った方剤は、小柴胡湯、大柴胡湯、半夏瀉心湯、生姜瀉心湯、甘瀉心湯、小柴胡湯合半夏厚朴湯、黄芩湯、柴苓湯、柴胡桂枝湯の九方剤である。
 次に黄連の入った方剤は、半夏瀉心湯、生姜瀉心湯、甘草瀉心湯、黄連湯、小陥胸湯の五方剤である。半夏と生姜の入った方剤は、小柴胡湯、大柴胡湯、生姜瀉心湯、旋覆花代赭石湯、半夏厚朴湯、小半夏加茯苓湯、柴苓湯、柴胡桂枝湯の八方剤である。
 一方、半夏と乾姜の入った剤は、半夏瀉心湯、生姜瀉心湯、甘草瀉心湯、苓甘姜味辛夏仁黄湯、黄連湯の五方剤である。
 茯苓・白朮の入った方剤は、茯苓飲、苓桂朮甘湯、五苓散、柴苓湯であり、茯苓のみの入った方剤は、苓甘姜味辛夏仁黄湯、茯苓杏仁甘草湯、茯苓甘草湯、半夏厚朴湯、小半夏加茯苓湯である。人参・大棗・甘草の三味がいっしょに入った方剤は、小柴胡湯、半夏瀉心湯、生姜瀉心湯、甘草瀉心湯、旋覆花代赭石湯、補中益気湯、黄連湯、柴苓湯、柴胡桂枝湯の九方剤である。
 しかし、この人参・大棗・甘草に半夏を加えた方剤は、小柴胡湯、半夏瀉心湯、生姜瀉心湯、甘草瀉心湯、黄連湯、柴苓湯、柴胡桂枝湯であるが、柴胡の代りに黄芩、黄連の入ったものが瀉心湯類である。

(3)胸脇苦満と心下痞硬の鑑別

 小柴胡湯は、胸脇苦満、半夏瀉心湯は心下痞と痞硬、黄連湯は胸中熱有り、胃中寒有り心煩、心下痞硬、腹痛等の腹証に用いる。しかし、これらに共通の生薬は、半夏・人参・甘草・大棗・生姜(乾姜)の五味であり、半夏によって胃の湿を除き、人参・大棗・甘草で脾胃を補い、生姜・乾姜で吐及び胃寒を治する。
 吉益東洞は、竹節人参は心下の痞硬を治すと言っているが、御種人参と比較して用いてみるに、御種人参は脾胃を補することが強いのに対し、竹節人参は心下痞硬によく効くように思われる。そこで、私達は、心下痞硬には竹節人参を用いることを主体としている。
 要するに、以上の五味が主役を演じて心下痞ないし痞硬を治するように思われる。小柴胡湯の腹証は、心下痞及び痞硬に胸脇苦満が加わっていることになり、柴胡と黄芩が必要となってくる。黄連湯は、前述の五味に黄連3.0gと桂枝3.0gを加えたものである。黄連で取るべき熱が心下から胸にかけて明瞭にあ る。胸骨下部から心下にかけて熱感がある。半夏瀉心湯は、黄連と黄芩が入っている。
黄芩は肺と大腸の熱を瀉するためであり、黄連を少し加えたのは、心下の心の部に少しく熱感があるからである。
 このように腹証の場に於いて薬能を観てゆくことが大切である。柴胡と黄芩の組み合わせでは、胸脇に熱と浮腫をもつ胸脇苦満を治する働きをもっているのである。

(4)三陰病(表4)

4  陰病に於いては、乾姜・白朮・茯苓・附子の入った方剤が多い。まず太陰病では、蒼朮・白朮・茯苓の入った方剤は、八方剤であり、次に生姜・乾姜の入った方剤は七方剤、人参の入った方剤は七剤であるが、半夏は三方剤に過ぎない。
 少陰病、厥陰病の九方剤のすべてに乾姜・生姜・附子が入っている。ただ附子瀉心湯と乾姜黄連黄芩人参湯の二方剤には、黄芩・黄連が入っていることは、陰病であっても心下に熱をもち、寒の中に挟まれた熱があることを示している。それは、五苓散に附子を加える必要があることと同様の考え方である。
 なお、白朮・茯苓の入った方剤は五方剤であり、人参の入った方剤は五方剤、芍薬の入った方剤は四方剤である。

(つづく)

(医師小川新:日本東洋医学会名誉会員)
「漢方の臨床」40卷3号掲載

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胸腹証論 続「古今腹証新覧」其の一(第1回)

[此の著述は「漢方の臨床」40卷3号に掲載されたものです]

(第1回)
胸腹証論
 続「古今腹証新覧」其の一

小川新

はじめに

  • 一般に伝統医学の証を弁ずる場合、陰陽寒熱表裏虚実という八綱の弁証に習熟しなければ、経験的実学としての治療技術は発揮できない。
  • 日本に於いて特に発達した腹証ではあるが、近代の腹証論は、『傷寒論』『金匱要略』を中心として発達しながら不知不識のうちに、虚実論を中心とした腹証論に偏向し、陰陽寒熱という基礎理論に基づく腹証の研究が疎かになっているのではないか。
  • 腹証に於ける寒熱について、特に陰陽にもとづく心下の腹証の寒熱について、生薬構成の面から、また胸脇苦満と心下痞硬の成立機転とその鑑別についても構成生薬と薬徴の面から考察したい。

目次

1. 腹証研究の基礎に対する提言
2. 腹証の目的
3. 腹証の方法論
  (1) 時間と空間
  (2) 証としての取捨

4. 腹証における寒熱
  (1) 陽明病 
  (2) 少陽病
  (3) 胸脇苦満と心下痞硬の鑑別
  (4) 三陰病 
5. 胸証
  (1) 名称
  (2) 胸証の方法
  (3) 寒熱
  (4) 実火と虚火
  (5) 胸部の寒熱に対する生薬
     (a) 熱邪に対する生薬 
     (b) 寒邪に対する生薬
  (6) 胸熱に対する方剤 
  (7) 胸寒に対する方剤(温裏剤)
  (8) 黄連解毒湯
     (a) 黄連解毒湯加方の症例
     (b) 黄連解毒湯の方意
  <私案>
  (1) 黄連
  (2) 黄芩
  (3) 黄柏
 (4) 山梔子
6. 総括
7. 結語

1. 腹証研究の基礎に対する提言

 私の研究してきた胸腹証論は、将来における科学技術発展のための基礎となりうるような素朴で正確な胸腹証論の確立を目的としたものである。そこで先輩の腹証を学びながら、その真偽を検証しつつ、いわゆる、“親試実験”の精神で求道ともいうべき心で、求術してきたものである。昨今の漢方ブームの中の研究方法、研究論文をみるに、この古典医学に於ける実学の姿を大きく喪失していることを嘆いているものの一人である。まさに泡沫漢方全盛時代の到来ともいうべきでしょう。

2. 腹証の目的

 腹証によって陰陽寒熱表裏虚実を判定して治療方針をたてるのが目的である。

 それは、『傷寒論』『金匱要略』を軸として張仲景の医法を実践するときの基本姿勢である。それは脈証・望証・聞証においても同様である。『難経』系の腹証であっても、夢分流の腹証に於いても、曲直瀬玄朔の『百腹図説』に於いても、現代の針灸経絡治療家に於いても、同じ目的をもつ弁証法であらねばならないと思われる。たとえ古方の湯液家であっても、共通の目標がないと腹証に迷うことになる。
即ち、急性病の傷寒の場合は脈証を主とし、腹証を従とすることが多いが、慢性病の場合は腹証を主として脈証を従として診定することが比較的多い。

 臨床の実際の場合、舌診等を含めて四診のすべてを弁証しなければならないが、望診・問診・脈診による陰陽・寒熱・表裏の弁証によって精確な診断ができてきたものを腹証の診断に於いてのみ虚実を中心として診断するということは、腹証を非常に困難にし、迷い易いものとすることになる。元来、虚実弁証は、陰陽・寒熱・表裏及び五臓六俯の虚実を弁証の際に用いられるものである。およそ『傷寒論』『金匱要略』の医法の中にはこのような古典医学の基礎理論が流れているのであるから、それを腹証の場合のみに独立した虚実論を展開することは、虚妄の多い腹証に陥入る弊害を生む要因となるのである。そこで、虚実間という無理な弁証法が生れてくるのである。

 この問題は、日本漢方の特徴である腹証論を誤った方向に導き、精確な弁証に際し非常な障害を招くものである。
これは現代の漢方界を指導している我々の責任でもあるように思っているので、敢えて苦言を提し、諸賢の批判を仰ぎたいと思うものである。

3. 腹証の方法論

(1) 時間と空間

 或る処方によって楽になり、一見治癒したように見えても、それがその方剤の腹証であるとは限らないことが多い。
その方剤の投与によって腹証の部分的な改善がおこったと言っても、そのすべてがその方剤の腹証でないことが多い。
 それはなぜかというに、脈証においても同じことだが、腹証においても新旧の時間的経過があるので、まず新しい腹証から消腿して行くものである。古い腹証を目標として処方した場合、治療に時間がかかるし、適合しないので、患者の苦痛はすぐには無くならないないものである。   例えば、長年の頭痛症の場合、柴胡桂枝湯のような腹証があるからといって柴胡桂枝湯を投与しても年余に及んだ激しい頭痛は治とは限らない。
腹証よりむしろ、口渇、尿不利、吐気、頭髪部の浮腫を目標として五苓散を投与した場合は、即座に治癒するものである。その後で、柴胡桂枝湯を投与すれば、理想的な治療となる場合が多い。
 また、慢性病の場合、下腹に古い瘀血性抵抗が存在しながら、新しい上腹の腹証を中心に治療をはじめなければならないことが多い。もちろん、程度の軽い上腹部の腹証の場合は、下腹を中心として治療してもすべては改善されるものである。要するに腹証の新旧を見定めねばならないということ、腹証の時間的推移を 読みとるようでなければ、腹証をみたことにはならないのである。
 この点を習得するためには、その時の腹証図を診療録によく記録しておくことである。デッサンが大切となる。抵抗の部位及び深さ、圧痛の程度、浮腫、艶の有無、色調の異常、特に寒熱を見逃さないことである。その患者が、五年、十年、二十年後に来院した時には、無処置または誤った治療によってどのように変化したかを知ることが出来、以前の自分の行った腹証に自信がもてるようになるものである。
 もちろん、腹証というものは、二週間後、一ヵ月、一年後というふうに短期間に変化するものも多いので、時間の許す限り、腹証と脈証を記録しておくことである。
 腹証も脈証も古いものほど、回復に時間を要し、新しいものほど回復は早いものである。その病態像の変化に驚く事も多いので、腹証技術の進歩に非常に役立つものである。
或る一つの方剤の腹証には一定の幅があり、その方剤の腹証の範囲を知るためにも、どのように変化し、どのような経過をたどって正常化したかを会得する必要がある。

(2) 証としての取捨

 手の寸関尺の脈、足の趺陽少陰の脈、頚の人迎脈、それぞれの脈証からみた胸腹証の問題、胸腹証と脈証の変化を相互に関連づけながら弁証する必要がある。
 このことの実際臨床の報告は『漢方の臨床』誌の三十九巻三号に「『傷寒論』『金匱要略』を軸とした弁証論治の世界」というテーマで発表しているので、これを参照して頂ければ、私の述べようとしている大略はご理解いただけるのではないかと思う。それは、『傷寒論』の序文にある「三部参ぜず」という張仲景師の本旨を私なりに実行したものであり、実に平凡で素朴な臨床の修練によって開かれた弁証の世界である。
 そこで、私が日常いつも心掛けている重要な弁証の大略を症例として述べてみたい。
 手脈は、右の寸関共に弦、右の尺は沈、左脈は寸関尺共に沈細である。しかし、足脈の少陰は特に左に於いて沈細。腹証では心下に水滞性抵抗がある。下腹には鼠蹊上部にそって圧痛と瘀血性抵抗がある。手脈の左尺、右尺共に沈細であり、下腹部の瘀血性抵抗により、腎機能が衰えており、自覚症をみるに、七八年前から両足趾、両手指、両足関節痛があり、両手に浮腫があり、排尿に勢いがなく、月経は少ない気がするというのである。それは本人のいう現病歴と現症とが一致するし、手足の脈と腹証とも一致しているという場合であるが、この弁証論治では、脈証と腹証とがすべて一致した当帰芍薬散である。
 これとは反対に、左右尺脈、特に左尺脈が弦であっても、足脈では、左少陰脈がほとんど触れないような場合があり、手脈では腎機能が比較的保たれている軽度の障害のように見えても、足脈によっては重度の障害がはじまっていることが多い。そして、上腹にはあまり変化がなく、下腹をみる場合、同じように古くて広範囲の瘀血性抵抗が存在する場合がある。ここでは、手脈よりはむしろ足脈の方がこの瘀血性抵抗による腎機能の障害を表現しているものである。ここでは桂枝茯苓丸を投与する場合が多い。
 このように弁証してくるわけであるが、その詳細は本論文の目的ではないので省略する。

(つづく)

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癌は治るか(癌臨床の現場から)

[広告]月刊誌「ナショナルジオグラフィック日本版」

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「瘀血研究17」/1998年
癌は治るか-癌臨床の現場から
小川新

目次
 緒言
 胸腹証を中心とした癌治療の証型と方剤について
   1.肝欝滞症:胸脇痛、腹部脹満
   2.肝胆実火証(帯脈の実火を含む)
   3.気滞血瘀証
   4. 脾虚痰濁証
   5.肝脾不和証
   6.陰虚内熱:五心煩熱、虚煩、耳鳴り、眩暈
   7.陽虚・虚寒
   8.三焦熱証・熱毒熾盛証:
   9.胸寒証
  10.気血両虚:
  11.気虚
  12.腎虚寒証
 術後の漢方治療
   1.術後早期の治療
   2.術後、抗癌剤投与後
   3.制癌剤副作用の治療について
 症例報告
 総括
 結語

■緒言

今や、日本国民死亡率のトップは癌です。これに対し、西洋医学的研究は毎週の如く報道せられています。最先端の科学技術が癌の制圧を目指して、世界中の医学者・薬学者・生物学者・代替医療の専門家達が日夜躍起となっています。新しい情報が登場する度に、医師や大衆や現在癌に罹患している本人や家族など、多くの人達がそれに夢を託しています。

癌への挑戦と言えば実に耳には頼もしく聞こえますが、臓器別医学が最高であると思い、それしか考えられないような近代医学では、何時まで経っても癌を治し切ることは出来無いでしょう。そこでは治す自信のない医師と、治る希望のない患者との相互関係となってしまいがちです。強引な徹底的手術の結果と、強力な抗癌剤投与による悲惨な副作用に恐怖を抱く大衆は実に多く、その為に死への準備も出来ずに、死の世界に追い込まれて行く人が少なくない。

一方我々の仲間は、末期癌患者に対しても何とかならぬものかと、漢方針灸治療を上手に施療して、余り苦しむこともなく臨終を迎えられることを手伝って参りました。それは、欧米でいうホスピス医療が日本に登場するより二十数年前から我々が実践していました。

さて、もっと積極的に癌の臨床に取り組むようになったのは、二十年位前からですが、ここ十数年前から少しずつ自信めいたものが生まれて来たようです。今回はその一部を報告いたします。それは上手に経過したものばかりですが、実は何時でもそんなにうまく行くものばかりではありません。お互いの信頼関係が密接であればあるほど、癌治療はやり易く予後も良くなって参ります。

今ほど癌の民間療法が求められ宣伝されている時代は嘗て無かったように思います。大衆は抗癌剤治療に恐怖を抱いており、そこに民間療法が流行する原因が存在するようです。民間療法も、証が合わなければ悪化する者も多いようです。これでは大衆は何を頼り、何を信じて良いかに迷うわけです。家族や看護人が迷えば迷うほど、病人は苦しんで参ります。所謂、運のいい人は助かり運の悪い人は助からないということになるのです。

我々にとっては、統合医学的発想の基に伝統医学的弁証を深く広く会得し、「癌恐るるに足らず」という臨床的実力が切に求められているようです。我々は、このような大衆の要望に答えなければならないのです。それは、大衆のみならず直接、我々自身及び医師の家族において求められているものです。私のこの粗末な臨床が、少しでも諸賢の御参考になればと思い御報告致す次第です。

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四物湯及び類方の腹証

[広告]月刊誌「ナショナルジオグラフィック日本語版」

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第4回瘀血総合科学研究会_1985年
四物湯及び類方の腹証
小川新

四物湯の腹証は老若男女を問わず甚だ多いにも拘らず、日本漢方界の古方家に無視されている傾向がある。

目次
1. はじめに
2. 四物湯の文献的考察
3. 症例による四物湯腹証の概要
4. 定型的四物湯の腹証について
5. 桃核承気湯との鑑別について
6. 加減法について
  『医方集解』にみる加減
7. 腹証を基礎として加減した随証療法について
  1) 加茯苓白朮沢瀉例
  2) 加猪苓沢瀉例
  3) 加艾葉阿膠例
8.合方ないし兼用した随証療法について
  (四物湯併証の腹証について)
  (1)下腹について
   1) 猪苓湯との合方
   2) 桃核承気丸兼用
  (2) 上腹について
   A. 心下に腹証の異常があるとき
    1) 四物湯との合方
    2) 補気建中湯との合方
    3) 柴芍六君子湯との合方
   B. 胸脇に腹証異常があるとき
    1) 小柴胡湯との合方
    2) 四逆散との合方兼桃核承気丸
  (3)三焦の清熱を目的とするとき
    1) 温清飲
    2) 柴胡清肝散(一貫堂)
    3) 龍胆瀉肝湯(薛己)
    4) 龍胆瀉肝湯(一貫堂)
    5) 清肺四物湯(小川新命名)
9. 総括
10. 結語

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