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「雨亭」 大田南畝

小川古医書館蔵

「雨亭」 大田南畝書

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雨亭 南畝覃(ふかし) 落款:屬山、南畝

大田南畝が 安芸国佐伯郡己斐村(現広島市西区己斐) の茶室雨亭に立ち寄りし折書けるものか。 【南畝の「小春紀行」巻之中の文化二年十月二十三日(1805年12月13日)の記載に廿日市から草津・己斐を通り広島城下に至ったとある】

・大田南畝(なんぽ)

寛延2年3(1749年4月)文政6年4月(1823年5月) は江戸時代を代表する天明期の戯作者・狂歌師大田南畝-Wikipedia

・雨亭

小川意が広島藩主浅野斎賢公より広島湾を望む己斐の丘に別荘雨亭を拝領。広島の城下を訪れる多くの文人・学者がここに逗留す。

・小川意(むね)、敬元・号蓬山(本姓赤松)

広島浅野家侍医。詩文、書をよくし、天下の文客と広く交わる。広島藩修業堂医学所教導筋万端引受とあり教導所の校長たり。浅野家侍医小川東郭敬元の実子。天保6年7月11日卒(1835/8/15)、72才

蓬山先生雨亭記(先生手書)
雨亭記
 

雨亭者故伯父鳳州福山先生官暇遊息之處也 亭有五勝品先生之所撰曰天女峰曰廣陵潮曰小芙蓉曰禹時灘曰松林洞亭下之廬曰蓑笠庵亭園唯有一大山櫻別無園趣盖不假成趣也 先生下世後其子肅夫以亭属家君亭於是乎 為家君之有焉 仍舊曰雨亭家君復嘗買亭側之數畝之壬申之春余復搆子字於其處是為西亭与雨亭相距僅數歩高亦不過數級而海山之観則倍焉 不樊不籬田間特植雜樹數十株耳 後賴春水来遊使余植薔薇以界之今之有薔薇樊者春水之為也 亭則一仍舊造而不敢變改要在存舊無家君之志也 先生病痱不便行歩或棹孤舟或命肩輿従子姪門弟子容與諷詠有時信宿而去以為常矣 又嘗自掲數字曰有人楽無人亦楽先生之高懐亦可概而知矣 白杏公子屡枉駕必賦詩論文似追慕遺蹤者又教近臣武揚州作圖徴集諸家寄題而賜之公子亦親書扁字唐津鳳彩塬矦東覲之次五馬貢臨又有揮染之興遂及扁字君子以為栄焉 盖先生有此亭而還遇知名及善書必需扁字遇善画必圖眞景是以門客知故其或遠遊而帰必携數紙贈之亦以為常矣 今既至於累數巻徃春水自游洛帰亦以數紙見贈余其他可知也已 顧閥閲豪富之其園荘之在府下者輪焉 奐焉 其多又幾許乎 而徒為酣宴漫遊之射釣漁之具而無聞於大人君子之際者亦復幾許乎爾 則土地之顯晦汚隆亦非有時而然乎 抑又在人乎 余於是感先生之徳者一年深於一年矣 若其景象梗概則具於先生之集及弟定之記与武揚州之圖故不復贅焉

文化十一年甲戌冬十二月 蓬山赤松意撰

【注】

  • 福山鳳州鳳洲):享保9年-天明5年[1724-1786]、 法橋杉山元瑞(広島藩医)の実子。小川意(ムネ)(本姓赤松)の実父小川東郭敬元の兄弟(小川意の伯父)。儒者。林天真の父。広島藩家老上田氏の臣。本姓杉山。名は貞儀。字羽卿。号雨亭・松門。
  • 公:安芸広島藩七代藩主 浅野重晟(しげあきら)
  • 白杏公子:浅野長懋(ながとし)  浅野重晟の実子
  • 弟定:中西元瑞(1767-1831)、名は定、号桂海、小川意の実弟。
  • )春水 :広島浅野家儒者。山陽の父。(1746-1815)賴春水-Wikipwdia
  • 文化十一年甲戌冬十二月:グレゴリオ歴1815年1月〜2月
  • 白杏公子:浅野重晟の実子

語注:酣=たけなわ:徃=いにしえ

記・ささふね

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