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胸腹証論 続「古今腹証新覧」其の一(第1回)

[此の著述は「漢方の臨床」40卷3号に掲載されたものです]

(第1回)
胸腹証論
 続「古今腹証新覧」其の一

小川新

はじめに

  • 一般に伝統医学の証を弁ずる場合、陰陽寒熱表裏虚実という八綱の弁証に習熟しなければ、経験的実学としての治療技術は発揮できない。
  • 日本に於いて特に発達した腹証ではあるが、近代の腹証論は、『傷寒論』『金匱要略』を中心として発達しながら不知不識のうちに、虚実論を中心とした腹証論に偏向し、陰陽寒熱という基礎理論に基づく腹証の研究が疎かになっているのではないか。
  • 腹証に於ける寒熱について、特に陰陽にもとづく心下の腹証の寒熱について、生薬構成の面から、また胸脇苦満と心下痞硬の成立機転とその鑑別についても構成生薬と薬徴の面から考察したい。

目次

1. 腹証研究の基礎に対する提言
2. 腹証の目的
3. 腹証の方法論
  (1) 時間と空間
  (2) 証としての取捨

4. 腹証における寒熱
  (1) 陽明病 
  (2) 少陽病
  (3) 胸脇苦満と心下痞硬の鑑別
  (4) 三陰病 
5. 胸証
  (1) 名称
  (2) 胸証の方法
  (3) 寒熱
  (4) 実火と虚火
  (5) 胸部の寒熱に対する生薬
     (a) 熱邪に対する生薬 
     (b) 寒邪に対する生薬
  (6) 胸熱に対する方剤 
  (7) 胸寒に対する方剤(温裏剤)
  (8) 黄連解毒湯
     (a) 黄連解毒湯加方の症例
     (b) 黄連解毒湯の方意
  <私案>
  (1) 黄連
  (2) 黄芩
  (3) 黄柏
 (4) 山梔子
6. 総括
7. 結語

1. 腹証研究の基礎に対する提言

 私の研究してきた胸腹証論は、将来における科学技術発展のための基礎となりうるような素朴で正確な胸腹証論の確立を目的としたものである。そこで先輩の腹証を学びながら、その真偽を検証しつつ、いわゆる、“親試実験”の精神で求道ともいうべき心で、求術してきたものである。昨今の漢方ブームの中の研究方法、研究論文をみるに、この古典医学に於ける実学の姿を大きく喪失していることを嘆いているものの一人である。まさに泡沫漢方全盛時代の到来ともいうべきでしょう。

2. 腹証の目的

 腹証によって陰陽寒熱表裏虚実を判定して治療方針をたてるのが目的である。

 それは、『傷寒論』『金匱要略』を軸として張仲景の医法を実践するときの基本姿勢である。それは脈証・望証・聞証においても同様である。『難経』系の腹証であっても、夢分流の腹証に於いても、曲直瀬玄朔の『百腹図説』に於いても、現代の針灸経絡治療家に於いても、同じ目的をもつ弁証法であらねばならないと思われる。たとえ古方の湯液家であっても、共通の目標がないと腹証に迷うことになる。
即ち、急性病の傷寒の場合は脈証を主とし、腹証を従とすることが多いが、慢性病の場合は腹証を主として脈証を従として診定することが比較的多い。

 臨床の実際の場合、舌診等を含めて四診のすべてを弁証しなければならないが、望診・問診・脈診による陰陽・寒熱・表裏の弁証によって精確な診断ができてきたものを腹証の診断に於いてのみ虚実を中心として診断するということは、腹証を非常に困難にし、迷い易いものとすることになる。元来、虚実弁証は、陰陽・寒熱・表裏及び五臓六俯の虚実を弁証の際に用いられるものである。およそ『傷寒論』『金匱要略』の医法の中にはこのような古典医学の基礎理論が流れているのであるから、それを腹証の場合のみに独立した虚実論を展開することは、虚妄の多い腹証に陥入る弊害を生む要因となるのである。そこで、虚実間という無理な弁証法が生れてくるのである。

 この問題は、日本漢方の特徴である腹証論を誤った方向に導き、精確な弁証に際し非常な障害を招くものである。
これは現代の漢方界を指導している我々の責任でもあるように思っているので、敢えて苦言を提し、諸賢の批判を仰ぎたいと思うものである。

3. 腹証の方法論

(1) 時間と空間

 或る処方によって楽になり、一見治癒したように見えても、それがその方剤の腹証であるとは限らないことが多い。
その方剤の投与によって腹証の部分的な改善がおこったと言っても、そのすべてがその方剤の腹証でないことが多い。
 それはなぜかというに、脈証においても同じことだが、腹証においても新旧の時間的経過があるので、まず新しい腹証から消腿して行くものである。古い腹証を目標として処方した場合、治療に時間がかかるし、適合しないので、患者の苦痛はすぐには無くならないないものである。   例えば、長年の頭痛症の場合、柴胡桂枝湯のような腹証があるからといって柴胡桂枝湯を投与しても年余に及んだ激しい頭痛は治とは限らない。
腹証よりむしろ、口渇、尿不利、吐気、頭髪部の浮腫を目標として五苓散を投与した場合は、即座に治癒するものである。その後で、柴胡桂枝湯を投与すれば、理想的な治療となる場合が多い。
 また、慢性病の場合、下腹に古い瘀血性抵抗が存在しながら、新しい上腹の腹証を中心に治療をはじめなければならないことが多い。もちろん、程度の軽い上腹部の腹証の場合は、下腹を中心として治療してもすべては改善されるものである。要するに腹証の新旧を見定めねばならないということ、腹証の時間的推移を 読みとるようでなければ、腹証をみたことにはならないのである。
 この点を習得するためには、その時の腹証図を診療録によく記録しておくことである。デッサンが大切となる。抵抗の部位及び深さ、圧痛の程度、浮腫、艶の有無、色調の異常、特に寒熱を見逃さないことである。その患者が、五年、十年、二十年後に来院した時には、無処置または誤った治療によってどのように変化したかを知ることが出来、以前の自分の行った腹証に自信がもてるようになるものである。
 もちろん、腹証というものは、二週間後、一ヵ月、一年後というふうに短期間に変化するものも多いので、時間の許す限り、腹証と脈証を記録しておくことである。
 腹証も脈証も古いものほど、回復に時間を要し、新しいものほど回復は早いものである。その病態像の変化に驚く事も多いので、腹証技術の進歩に非常に役立つものである。
或る一つの方剤の腹証には一定の幅があり、その方剤の腹証の範囲を知るためにも、どのように変化し、どのような経過をたどって正常化したかを会得する必要がある。

(2) 証としての取捨

 手の寸関尺の脈、足の趺陽少陰の脈、頚の人迎脈、それぞれの脈証からみた胸腹証の問題、胸腹証と脈証の変化を相互に関連づけながら弁証する必要がある。
 このことの実際臨床の報告は『漢方の臨床』誌の三十九巻三号に「『傷寒論』『金匱要略』を軸とした弁証論治の世界」というテーマで発表しているので、これを参照して頂ければ、私の述べようとしている大略はご理解いただけるのではないかと思う。それは、『傷寒論』の序文にある「三部参ぜず」という張仲景師の本旨を私なりに実行したものであり、実に平凡で素朴な臨床の修練によって開かれた弁証の世界である。
 そこで、私が日常いつも心掛けている重要な弁証の大略を症例として述べてみたい。
 手脈は、右の寸関共に弦、右の尺は沈、左脈は寸関尺共に沈細である。しかし、足脈の少陰は特に左に於いて沈細。腹証では心下に水滞性抵抗がある。下腹には鼠蹊上部にそって圧痛と瘀血性抵抗がある。手脈の左尺、右尺共に沈細であり、下腹部の瘀血性抵抗により、腎機能が衰えており、自覚症をみるに、七八年前から両足趾、両手指、両足関節痛があり、両手に浮腫があり、排尿に勢いがなく、月経は少ない気がするというのである。それは本人のいう現病歴と現症とが一致するし、手足の脈と腹証とも一致しているという場合であるが、この弁証論治では、脈証と腹証とがすべて一致した当帰芍薬散である。
 これとは反対に、左右尺脈、特に左尺脈が弦であっても、足脈では、左少陰脈がほとんど触れないような場合があり、手脈では腎機能が比較的保たれている軽度の障害のように見えても、足脈によっては重度の障害がはじまっていることが多い。そして、上腹にはあまり変化がなく、下腹をみる場合、同じように古くて広範囲の瘀血性抵抗が存在する場合がある。ここでは、手脈よりはむしろ足脈の方がこの瘀血性抵抗による腎機能の障害を表現しているものである。ここでは桂枝茯苓丸を投与する場合が多い。
 このように弁証してくるわけであるが、その詳細は本論文の目的ではないので省略する。

(つづく)

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