« なぜ「統合医学」としたのか | トップページ | 信仰と癌“牡蛎養殖老人の胃癌” »

『素問』「痿論篇」の病態認識と治療〜現代脊髄神経病学の問題点

[広告]月刊誌「ナショナルジオグラフィック日本語版」

_________________________________________________

『素問』「痿論篇」の病態認識と治療〜現代脊髄神経病学の問題点

小川新(OGAWA Arata)

目次
第一章 病態認識
『素問』「痿論篇」第四十四 (訓読、通釈、語釈、症例)

第二章 治療

『素問』の問題点と現代脊髄病学の盲点
 1、「素問」に対する批判

 2、私の鍼灸治療の立場

 3、漢方的治療

 4、近代医学の盲点

 5、漢方的腹証の盲点

緒言
 日常外来に於いて、所謂脊髄性麻痺症と思われる病態にしばしば出会う。しかし、それは治癒し難いものが多い。生命には別条ないのに、運動麻痺のために日常の生活が出来ないということは、本人は勿論、家族など周囲の者にも、苦痛極まりないものとなっています。

 私は二十数年前、脊髄麻痺の診断と治療のために脊髄神経病学を研究してみたが、その当時、あまりにも不明の部分が多いのには驚いた。病理学といえばどれもこれもが、屍体の病理解剖学所見であった。その内容についてよく見れば、その疾患が始まった後、適切な治療によって治り得る可逆的病変の時機に、不適切な治療で治癒せず非可逆的恋病変となってしたものが殆どであった。脊髄の病変がわずかな炎症であったり、軽度の循環障害であったりする場合は、治療によっては容易に治し得る可逆的な病変であるはずである。そして脊髄の病理学的変化はともかくとして、治療医学の面で東洋医学に期待するものを探し求めてきたました。

 現在の日本漢方界の現状をみると、この方面の研究が甚だ乏しいように思えてならないし、どうも『傷寒論』『金匱要略』の治療医学の中にのみそれを求めても無理なように思えたので、『素問』「痿論篇」を研究してみることにした。そして「痿論篇」に述べられていることが果して真実なのか、臨床の場で確かめたわけです。

 昭和四十八年(一九七三年)名古屋市における日本東洋医学会総会で「万病一毒論の今日的意義第一報『痿証について』」という題で、あらましを述べましたが、難解のようであったので、昭和四十九年京都における日本東洋医学会総会に於いて更に理解し易いように解説ました。

 本論文においては、まず『素問』の「痿論篇」を訓読し、臨床的に解読し、『素問』の言わんとする病態認識について、私の臨床の眼から見た『素問』の問題点と現代脊髄病学の盲点について述べます。

第一章 病態認識
『素問』「痿論篇」第四十四、
(訓読、通釈、語釈、症例)
■本文1
黄帝問曰、五蔵使人痿、何也。
岐伯対曰、肺主身之皮毛、心主身之血脈、肝主身之筋膜、脾主身之肌肉、腎主身之骨髄。
故肺熱葉焦、則皮毛虚弱急薄、著則生痿躄也。
(中略)
帝曰、何以得之。
岐伯曰、肺者蔵之長也。為心之蓋也。有所失亡、所求不得、則発肺鳴、鳴則肺熱葉焦。
故曰、五蔵因肺熱葉焦、発為痿躄、此之謂也。

〔訓読〕

 黄帝問テ曰ク、五蔵ノ人ヲシテ痿(イ)セシムルハ何ゾヤ。
 岐伯対テ曰ク、肺ハ身ノ皮毛ヲ主(つかさど)リ、心ハ身ノ血脈ヲ主リ、肝ハ身ノ筋膜ヲ主リ、脾ハ身ノ肌肉ヲ主リ、腎ハ身ノ骨髄ヲ主ル。故ニ肺熱シ葉焦ルレバ則チ皮毛虚弱ニ急薄ナリ、著(つけ)バ則チ痿躄(イヘキ)ヲ生ズ。
(中略)
帝曰ク、何ヲ以テカ之ヲ得タル。
 岐伯曰ク、肺ハ蔵ノ長ナリ、心ノ蓋タリ也。失亡スル所有リテ求ムル所得ザレバ則チ肺鳴ヲ発ス。鳴レバ則チ肺熱シ葉焦ル。故ニ曰ク、五蔵肺熱シ葉焦ルルニ因テ発シテ痿躄ヲ為ストハ此ノ謂ナリ。

〔通釈〕

 五行思想によって五臓の働きを夫々、皮毛、血脈、筋膜、肌肉、骨髄という風につぎのように5分類したものです。

1)肺と体表
態生理学的にも肺と皮毛は非常に近縁関係にあることから、肺系統と皮膚系統とは同系統のものと認識しています。2)心と血脈。
心臓を中心として動静脈という血管系があることから、互いに機能的にも関係が深いことは誰しも否定し得ないことです。
2)心と血脈
心臓を中心として動静脈という血管系があることから、互いに機能的にも関係が深いことは誰しも否定し得ないことです。
3)肝と筋膜
人の体温調節機構をみるに熱エネルギーの産生の面に於いて、その大部分は肝と筋肉であることから、そういう面に於いてこの二つの組織には共通面が多い。しかし、筋肉と言わず筋膜という理由について、『類経』では、次のごとく述べている。「膜とは血、気を屏障するものである。凡そ筋膜在るところ脈絡筋膜必ず分かれ、血気必ず聚まる。故に、人これを筋原と謂い、またこれを脂膜と謂う。」筋膜によって血分と気分とが分かれているというのである。古代の素朴な解剖生理学から言えば、筋肉自体は血のある所、筋膜は気の部分であるというようだ。特に痿症の場合、筋膜といったのは、後述の肝気熱する場合の障害を筋膜に熱をもつと説いていることからも分ります。
4)脾と肌肉
脾というのは素問流に言えば、脾土は飲食消化の中心であり、特に大腸を除いて水分の吸収のセンターです。
その点、肌肉即ち皮下組織は脂肪を中心とした水分の貯蔵場所とも言うべき所です。
脾は吸収の中心であり、皮下組織は貯蔵の中心ともいうべき所であり、その意味で近縁関係にあります。
5)腎と骨髄
古典にいう「腎」は、腎臓そのものというよりは水分排泄のセンター、いわゆる水蔵の中心であることには間違いない。しかし、この「腎」は副腎皮質及び副腎髄質の機能、生殖器の機能を含めたものです。
現代医学では、骨髄は造血臓器とされており、身体を物理的に支える中心的組織となっているのであるが、『素問』では骨髄を腎機能と非常に関連の深いものとして理解している。「腎気熱すれば腰脊挙らず骨枯れて髄減ず」というのは腰の部分に気熱が継続してあれば、骨萎縮骨組霧症を起こすことを言っています。

〔語釈〕

○肺(気)熱について
 肺熱とは肺気熱することである。気熱とは気に熱をもったものである。寒気とか気虚、気実はよくいわれているが、気熱については、現代の漢方家は中国でも日本でも軽視しているのではないかと思う。しかし、それはこの痿証に於いてばかりでなく、現代の医学に於いても実に重大な問題であると思います。
 気熱には五臓に及す五種の気熱がある。物事が思うように行けば気もスムーズに循行し気熱を持つことはないが、求めたものが得られず欲求不満がストレスとなって、気が伸びずに欝滞するときは熱を持ち、気管及び気管支の粘液が熱によって沸騰したようになって、ゴロゴロと鳴るというのである。これは今の医学でいう一種の気管支喘息のである。それを肺鳴というのです。

○葉焦
 今の解剖学でも肺葉という言葉を用いている。ちょうど樹木に幹があり、根から吸収する栄養分と葉で呼吸するガス代謝によって生きているように。そして、木の葉が枯れ肺鳴という症候をもった呼吸器疾患は、気管支喘息の他にも、青壮年大葉性肺炎、ウイルス性肺炎、リポイド肺炎、新生児肺炎、放射線肺炎、慢性気管支炎、細菌性肺炎、気管支拡張症、慢性肺気腫、肺結核、肋膜炎、肺癌等も含まれていると思われます。
 要するに、焦げるということは熱気によって炎症を起こすことであるが、その炎症は今日ではアレルギーや細菌感染、時には肺癌のような腫瘍をも含めたものでしょう。

○痿躄
 老人の場合、少し風邪をこじらせた場合でも、そのあと一応の風邪症候群はすべて治癒して食欲もあり、元気になったように見えても両下肢に倦怠感を覚えることが多い。本人が長道を歩けなくなったことを自覚するものです。
 その場合、上気道や気管支の炎症は治まっても、肺気熱が微妙に残っているのである。この微妙な肺気熱の証をどのようにして診断するかというと、脈診によって脾虚を中心に脾虚胃実とか肝虚胆実とかが微妙に残っていることを察知したり、足陽明胃経の足三里を中心に切経してみて、胃が虚したりして知るのである。また、自覚症状としては、何となしに足がだるいとか、口渇や口乾を訴えることが多い。しかし、こういった事は意外と見逃されています。
肺気熱が長く続けば続くほど足痿えの状態、即ち痿躄となります。

“『素問』「痿論篇」の病態認識と治療〜現代脊髄神経病学の問題点”のつづきを読む 

_________________________________________________________

[広告]月刊誌「ナショナルジオグラフィック日本語版」

|

« なぜ「統合医学」としたのか | トップページ | 信仰と癌“牡蛎養殖老人の胃癌” »

東洋医学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/208481/15343689

この記事へのトラックバック一覧です: 『素問』「痿論篇」の病態認識と治療〜現代脊髄神経病学の問題点:

« なぜ「統合医学」としたのか | トップページ | 信仰と癌“牡蛎養殖老人の胃癌” »